木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第37回副座長咲田せいじろう後編~劇団松丸家~4/4

筆者は、松丸家小弁太座長にせいじろうについていくつか訊いてみた。
副座長の咲田せいじろうは、座長や劇団にとどんな存在ですか?
『そうですね。 実は、前の座長であった美里は、私と美寿々とこももの母でしたが、2018年(平成30年)6月に亡くなりました。父の弁太郎は病院で静養中です。 頼れるのは、長老の義理の兄のせいじろうでした。 劇場やセンターとの打ち合わせなどは、まかせています。ほかにも、劇団の運営などもせいじろうと美寿々に相談しています。 私にとっても劇団にとっても、いい兄貴ぶんとなっています。
座長として、副座長咲田せいじろうには、どんな役者になってほしいのですか?
『そうですね。今年でせいじろうも50歳になりますが、その年になると、長老役になり、やくざの親分などですが、そんな年齢にこだわらず、かれのキャラクターを活かして、ますます個性豊かな役に挑戦していただきたい』
P.S.
身長175センチ、体重80㎏、見た目以上の、圧倒的な威圧感であるが、私がこの取材中に感じた副座長咲田せいじろうというより、迫晴生のやさしさとチャーミングな素顔に、役者の域を超えた人間性に惹かれて、集まってくる人が多いということが実感できた。
彼の人生を振り返ったこのエッセーを読み返すとき、米沢藩第9代藩主上杉鷹山が、家訓として残した言葉を思い出す。
『為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは、人の為さぬなりけり』
終わり
プロフィール

小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。
劇団情報
劇団松丸家
昭和59(1984)年7月1日、松丸家美里が旗揚げ。 平成11(1999)年に14歳で松丸家小弁太座長が座長就任。 人情劇、喜劇を得意分野とし、「とにかく笑顔に、元気になっていただく」がモットーの 暖かで癒し溢れる劇団。ファンとの交流も座員全員が大切にしている。
劇場情報
スパリゾート雄琴 あがりゃんせ
滋賀県大津市苗鹿3丁目9-5