木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第37回副座長咲田せいじろう後編~劇団松丸家~2/4

そんな暗い雰囲気を一蹴するように、親戚筋にあたる「近江飛龍劇団」の計らいもあり、14歳(中学2年)で小弁太が座長になった。
当時、最年少座長の誕生に、幕内は騒然とした。 小弁太は中学3年には、主役を務めている。 小弁太が主役になると、せいじろうは、その風体からも敵役になる。そんな出し物が多くなる。
確かに台詞は教えてもらえるがそれだけでは役になりきれない。 周りの役者は、男も女も芝居が上手い人ばかりである。
いやな親分の役作りに悩んでいるせいじろうにある役者が、「あなたは、性格的に優しい。いやな親分は似合わないかもしれない。でも役だから、もっと人の持っている、いやな部分をもっと大げさにやって、楽しんだら。」
その一言で、気がついた。自分が役をするのではなく、役の中に自分の魂を入れるのだ。 そうすると、化粧もかわり、感情移入も楽になった。 その瞬間から、いろんな人物になれる役者が、面白くなったし、好きになったのである。
せいじろうは、劇団の中で、いろんな苦労もあったが、劇団以外の大衆演劇の役者仲間にもおしえをうけながら、自分自身を出せるようになってきて、この仕事の喜びをもわかってきた。
そんなときであった。
おねがいして「近江飛龍劇団」のゲストに行ったのだが、その時は「女形大会」であった。
事前にその情報は入ってきたので、せいじろうは二日間で「女形」の振りを、美寿々に教えてもらい、衣装も鬘も近江飛龍劇団からお借りして、なんとか「女形大会」を乗り切った。
近江飛龍劇団は、せいじろうのゲスト期間が終わっても、彼にその鬘と衣装を提供してくれたので、劇団にかえっても、女形に挑戦した。 せいじろうに芸の幅が増えたのである。
また、せいじろうはいろんな劇団の座長から、その技をビデオで勉強した。 中でも、恋川純弥座長には、深く心酔して、芸風から化粧、コロンまでも、学び、盗んだのである。
プライベートな部分でも、平成25年5月にはあーちゃんが生まれ、平成29年1月には、まなとが生まれ、3人の子供のパパになったわけである。
子供達の母である美寿々は、娘、息子を転校があっても、地元の小学校に通学をさせ、放課後になってから、子供達を舞台に立たせている。 まなとは芝居も舞踊ショーもすきで稽古にはげむが、あーちゃんは、そうでもない。 しかし、子供達の主体性に任せている。
美寿々は言う。 「役者の家に生まれたら、いずれは、役者でしょう。だって、私がそうだったから。」