木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第11回寿かなた~劇団寿~後編

大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。 何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか? 劇場オープンから5年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第11回は劇団寿の寿かなた編の後編です!
Ⅵ
ナースの仕事も順調に進み、自信と仕事に対する喜びを実感するようになってきた。
そんな時、あるうわさが流れて来た。
病院に外来で来ていた患者が「安曇野に劇場がオープンする」と、外来ナースに話したらしい。
その話が、恵の耳に入る。
もともと役者の恵である。
劇場と聞くと血が騒ぐ。まさに役者の性である。
その外来ナースの仲立ちで、オーナーに紹介され、劇場のお手伝いをはじめる。
そんな5月、劇場に「劇団寿」が乗った。 恵は、矢も楯もたまらず役者をやりたくなった。
しかし、冷静になって考えてみると、ナースのお仕事は給料もいいし、勉強すれば スキルアップもできて、ますます生活は落ち着く。年を取っても年金もいい。
逆に、役者になったら、生活は不安定で給料も安い。 しかし、そんな生活や給料を凌駕するほど、大衆演劇は魅力的であった。 恵はもう一度役者をやりたかったのである。
時を同じくして、劇場に乗っていた「劇団寿」の寿美空(座長の長男。後に若座長になる)に、劇場のオーナーが、恵を紹介しながら「実はこの子も役者をしていたんだよ」と話した。
それを聞いた美空は考えた。今の寿には女優が少ない。彼女は即戦力である。 そうなると相思相愛である。そして恵は「寿かなた」となった。
恵は「花園あつみ」時代、自分の力のなさから大衆演劇から逃げてしまった。 「寿かなた」になった今、「花園あつみ」が残してしまったままの青春の忘れ物を、かなたが取りに行ったのである。
16歳で入った「伍代劇団」から「劇団寿」まで10年以上のブランクがある。 このブランクは大きい。一からの修行である。
「伍代劇団」は団員も多く大きかった、しかし「劇団寿」は団員も少ない。自分の仕事はべらぼうにあった。 しかし日一日と、仕事に慣れていって「劇団寿」の女優になっていった。 そして再デビューである。