木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第16回染弥あかり~劇団紫吹~前編
大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。
何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか?
劇場オープンから6年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第16回は劇団紫吹 染弥あかり(そめや あかり)編です!
はじめに
西暦1560年、日本が「永禄」の時代である。いわゆる織田信長が生きた時代では、人間は50年の人生であったそうだ。彼自身が唄い踊っている「敦盛」の中で、 いみじくとも語っている。
しかし、現在に目を移してみると、医療技術の発達や生活衛生の確立で、人生100年時代を迎えようとしている。なんとその差は、50年。
人間が長生きをすると、生きている間にいろんな経験もできるわけだが、若い間はスポーツに懲り、音楽を愛し、シニアになってからは大衆演劇を楽しむ、など。
仕事についても、終身雇用から転職でステップアップするなど、選択肢が広がった。
人生設計を決める時や、将来の職業を決める瞬間は、人それぞれである。
私の場合は、小学校の六年生の時に、将来を決めた。
少し長くなるが、始まりは1964年の東京オリンピックだ。
当時、私は小学生で児童会長をしており、児童会活動で、毎日メダルの争奪戦の結果をテレビや新聞で調べて壁に貼り出していた。子供心にも結構面倒であったことを覚えている。
最終日、最終集計をしていると、担任の先生が声をかけてくれた。
「小野君、長い間ご苦労やったなあ。日本の金は16か」
「そうですね、先生。アメリカの金メダルは36個、次はソ連で30個、日本は16個でした。でも不思議なのですが、なぜメダルの獲得にこんなに差が出るのですか?」と、素朴な質問を投げた。
しばらく考えて、先生は答えた。
「君の家ではすき焼きなど牛肉をどれくらい食べてる?」
「1年に3回か4回やね。あとは鶏を食べてる」
(60年程前の日本は、そんな時代であった)
「先生の家もそや。牛肉は高い。だから食べられない。日本の家庭ではみんな牛肉を食べていない。しかしアメリカやソ連は、毎日食べている。スポーツ選手には牛肉などの動物性のタンパク質が必要なんや」
「なるほど。日本の牛肉は高いけど、アメリカやソ連は牛肉は安いから毎日食べられる。スポーツには牛肉が必要なんや」
そんな子供じみた理論を、素直だった小学生の私は疑いもなく信じた。
「じゃあ、先生。僕は牧場を作って安い肉を日本中に提供するよ。そうすればオリンピックで勝てるようになるよね」
私は大学で畜産を勉強して、地元である滋賀県で牛を飼いはじめた。
その頃では珍しかった集約的なフィードロットスタイルの牧場形態であった。 滋賀県は流石に近江牛の本場である。餌の配合や飼い方には、伝統的な技術があった。
結果、美味しい肉が大量にできた。よって牛肉の値段は確かに下がった。牛肉は庶民の食べ物になった。
その後、政府はアメリカ産の安い肉を大量に輸入するようになった。私がやっていたホルスタインの雄牛の肥育は採算が合わなくなり、私たち肥育農家は廃業に追い込まれてしまった。
現在では、日本国中に安い肉があふれ、オリンピックでの日本の活躍は皆さんのご存じの通りである。
「日本のスポーツが弱いのは動物性タンパク質(牛肉)が足りないからだ。」という、私が小学校の頃に考えた命題は解決したと言えるだろうか。
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私の進路の決め方は、多少特殊で小学6年生だったが、今日ご紹介する女優は、もっと早く、なんと小学3年生の時に人生の行方、進路を決めていた。
なぜ人生を10歳余りの若さで決められたのか、今回はこんなお話である。