かんげき2024年11・12月号Vol.92
木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第32回英昇龍編前編~優伎座~(3/4)
健斗は、平成11年、7歳になると北九州市立楠橋小学校に通うようになる。 とにかく負けん気が強く、体も大きかったので、学年でもリーダー的な存在であったが、憧れていたのは、サッカーで活躍している6歳年上のいとこの姿であった。
そんな影響もあって、健斗は小学校2年生になると、小学校のサッカー部に入部した。 そこには、名将として名を馳せている榎本監督の鋭いまなざしが光っていた。
入部するとコーチは2人いて兄弟であった 基本の練習を教えてくれたのは、弟コーチであったが健斗の足の速さに将来性を感じていた。また、ドリブルの練習は兄コーチが担当していたが、ドリブルの練習を始めた時に、健斗のボールタッチの柔らかさに非凡なものを感じた。
そんな健斗を見ていた榎本監督は、健斗にボールタッチの柔らかを生かしながら試合全体を見られるディフェンダーを経験させ、学年が上がると健斗の瞬足を生かし、フォワードにつかせゴールを狙わせた。
結果、ポイントゲッターとなり、試合の数をのばす度に、エースストライカーとして、北九州市中に楠橋の山崎の名前が広まった。
そんな健斗の生活であったが、休日には祖母や親戚のおばちゃんから「大衆演劇」のお誘いを受けていた。よく行っていたのは、小倉にある天然温泉「パーパス」の松劇場であったが、そこでは毎月ごと、いろんな劇団が乗って、各々の劇団の推しのファンで盛り上がっていた。
さて、健斗が住んでいる八幡西区には1級河川である「遠賀川」が流れている。対岸は、 筑豊で炭鉱の町である。 北九州市の人々は、大衆演劇をこよなく愛している。 それには、深く、歴史が関係している。