2歳半の時、里見豆タンクの芸名で初舞台を踏み、 昭和56年(1981)、17代座長に就任。 17歳の座長は当時最年少であった。 その後一時劇団を離れ、海外生活や様々な職業を経験。 19歳の時に劇団に復帰。 平成21年(2009)からは関西大衆演劇親交会会長として、 関西のみならず全国の大衆演劇を支えるべく活躍を行う。 平成22年(2010)に座長を里見直樹に譲り、総座長として 新体制の指導にも当たっている。