旅芝居女優名鑑第1回 三河家諒「今、舞台で泣いている諒さんは心の中の私です」~50歳からはただ“女優”として生きたい~
大衆演劇の女優と言えば、この方の名を上げる方は多いのではないでしょうか。
三河家諒(みかわや りょう)。九州の大御所・四代目三河家桃太郎の娘として生まれ、15歳で初舞台。大衆演劇以外でも活躍し、誰もが名女優と認める存在。
そんな諒さんが、コロナ禍で、一人悩み舞台を降りることも考えたと言います。
今年(2020)で芸道35年。これまでの軌跡とこれからの思いを伺いました。
楽屋で遊んでいた幼少期
客席の目玉が怖かった
九州大衆演劇界の名優・四代目三河家桃太郎の三女として生まれた諒。
意外にも舞台が嫌いだったと言います。
「物心ついた頃には、楽屋が生活の場で遊び場でした。でも舞台は嫌いで。私自身は覚えてないんですが、子役が必要なお芝居のある日は、朝からフラッと外へ遊びに行っちゃったそうです。勘が働いたんでしょうか(笑)」
「(舞台から客席を見て)目の玉が並んでいる!と思った記憶があります。
あるお芝居で、お婆ちゃん役の父に抱っこされて『婆ちゃん』と呼ぶところを『お父ちゃん』って言っちゃったんです。
泣きの場面だったのに、お客さんがドッと笑って。父が『今はお婆ちゃんと言わないといかんやろ』とアドリブを飛ばして収めたそうですが、笑われたことがショックで『もうヤダ』ってなったんじゃないかなと…」
父は「役者になりたかったらなれ」という方針で、無理に舞台に出ろとは言わなかったそう。
「と言うのも、当時、父のお弟子さんの都新太郎さんと、息子である三条すすむ君(劇団武る座長)が同じ劇団にいたんです。よく一緒に遊んでいましたが、お芝居が大好きなすすむ君の方が可愛がられてましたねえ。私なんか楽屋の穀潰しくらいの扱い(笑)。
父は九州の大きな劇団のお坊ちゃんで、わがまま放題好き放題の芝居極道(笑)。そんな父でしたが、子供たちには学校へ行かせたいという方針で、私も兄(五代目三河家桃太郎)も義務教育の間は福津市(福岡県)の実家で過ごしました」
15歳で役者の道へ
綺麗可愛いとベタ褒めされて…笑
中学時代はソフトボール部の3番ショートでキャプテンを務め、スポーツ進学の話も舞い込むほど。しかし諒の選択はなんと“役者”でした。
「特待生の話もあったのですが、そこまでしてやりたくなかったし、学校自体が好きじゃなくて。高校へ行く目的も見出せませんでした。
そんな時、父のお弟子さんの劇団を観に行って、面白そうって思ったんです。舞台に出てみたら、綺麗とか可愛いとかベタ褒めされまして…(笑)じゃあ役者になっても良いかなーって。
本当、そんなノリだったので、そうじゃなかったら普通に結婚して人生変わっていたかもしれませんよね。
お嬢さん扱いされたように思っている人もいるようですが、特別扱いは一切なし。座員の末席で雑巾がけから始めましたし、その後もほっとらかしで勝手にやれって感じでした(笑)」
その後、劇団が解散。今度は関東へ
「20歳の時に、大衆演劇かそれとも芸能界に行くか考えたのですが、人のご縁で観たのが、与ろずや柴舟(よろずやさいしゅう)さん。今となってはこの方が唯一の劇界の師匠になります。
それまで舞踊は我流で踊っていたんですが、徹底的に直していただきましたね。5年くらいお世話になってました」