旅芝居女優名鑑第1回 三河家諒「今、舞台で泣いている諒さんは心の中の私です」~50歳からはただ“女優”として生きたい~(3/5)
評判を呼んだお芝居「男の人生」「湯島の白梅」
伍代孝雄劇団、三河家劇団の舞台に立ちながら、様々な役を担ってきた諒。三河家劇団が元祖と言われる「マリア観音」の半次郎、名作「瞼の母」のおはま、フリーになってからでは「明治一代女」のお梅(上の写真)、「初蕾」のはま。数えればきりがない。他にお客様から良かったと言われるお芝居は?
「伍代劇団の時に演った『男の人生』というお芝居で、衛星放送の『ゆうゆう夢劇場』でも放映されました。悪役の策略によって目隠しをされた夫に殺されてしまう女房の役なのですが、今でもあれが良かったと言ってくださる方がありますね」
また、即興で演じた一人芝居「湯島の白梅」はファンの間で語り草です。
2012年3月17日、オーエス劇場で公演中の三河家劇団に客演した時の出来事。五代目三河家桃太郎座長が、ミニショーの最中に足のじん帯を切るというアクシデント発生。
座長を乗せた救急車を見送った後、諒は即興で2人分のセリフをカバーし、45分間、1人で演じ切りました。
「セリフ劇なので工夫すれば出来ると思いました。あとは無我夢中」(諒)
舞台には本物の梅の木が備え付けられ、花の香りが劇場中に漂ったそうです。
フリーの役者に転向
大衆演劇女優の鉄砲玉になろう
40歳(2010年)の時、三河家劇団を退団。フリーになったのは、こんな思いがあったからでした。
「1年365日の旅回りはいつかやめようと思っていましたが、フリーで活動するとか、考えてなかったんです。大衆演劇と他の演劇との垣根を作りたくなかったので、そういう意味での『フリー』になりたかった。
テレビや商業演劇の仕事した時に『大衆演劇の女優さんでちゃんと芝居できる人いたんだ』って言われました。これ、褒めてるつもりなんですよ。ふざけるな、でしょう(笑)
出来る女優さんはいっぱいいる。チャンスに恵まれないだけでね。ならば、おこがましいけれど私が鉄砲玉になってやろうと思ったんです」
「三河家諒」が一人歩き?!
大衆演劇では毎月多くの劇団に客演し、お芝居の演出、三河家の古いお芝居をゲスト先の劇団のためにアレンジしたり。名付けるなら「お芝居の伝道師」。フリーになって10年、名女優と呼ばれる諒ですが、本音を言えば…
「『こうなりたい』とか、なかったんです。踊りも最初は興味がなくて、人にお芝居の所作に繋がるからと言われて勉強して、やっているうちに見てもらえるようになって…いつしか『三河家諒』の名前が一人歩きしている気がしました。本当の自分は皆さんが思ってくださるほどビシッとしてない、とっても怠け者です。
『ライバルは誰か』と聞かれたら『自分』と答えるんですけど、もう『三河家諒』という偶像との戦いですね。『芝居はもうやりたくない、1日ゴロゴロ寝てたいのー』って言う本当の私に、偶像の私が『みんな“三河家諒”を観にきてるんだから、出来なきゃあんたなんかこれっぽっちも値打ちがねえんだよ』って言ってきて、奮い立つと言うか。
…で、舞台に立ったら「私は三河家諒よ」って顔してるらしいです(笑)」
人が思うほど「私は女優よ!」という気負いはないのに、それに応えてしまう自分もいて。
「女優を続けるために結婚しないと思われてますが、縁がなかっただけです(キッパリ&笑)。子供も好きですしね。気づいたら、え、もう50?って。人生に後悔はないですが、1つだけあげるなら、お母さんにならなかったことだけかな…」