旅芝居女優名鑑第4回美穂裕子(劇団大川)「いないと困る」と言われる女優になろう
2020年8月23日、奈良やまと座。
開場と同時にお客様が続々ご来場。場内はたくさんのお花が所狭しと並べられ、入り口にはかき氷の振る舞い屋台まで出現して、大賑わい。
これは何かの大会?襲名公演?いいえ、劇団大川の女優・美穂裕子さんの誕生日公演です。
15歳で大衆演劇の世界に飛び込んだ美穂裕子さん。
全くの素人から猛稽古を経て、劇団大川の女優の要として活躍してきました。
芸達者で明るくて、相手がどんな重鎮だろうが、ピシャリと言ってのける気風の良さ。毎年の誕生日公演は満員御礼、座長も恐れる集客力(笑)の持ち主でもあります。
旅芝居女名鑑第4回は、そんな人気者・美穂裕子さんの生い立ちから今日までの歩みに迫ります!
第1章
運命の出会い
初観劇で感動。劇場通い
生まれは奈良県桜井市。父はNTTの社員、母はパートタイマーと言う、ごく普通の家庭で育った美穂裕子。中学卒業を控えた15歳の冬に、運命を大きく変える出会いが訪れます。
高校はどうしても私立に行きたくて、大阪の私立高校を受験したんです。成績は悪くない方だったし、合格圏内の学校を選んだので、難なく合格しました。その学校から特進科に来ないかと誘われたのですが、特進科の下位にいるより普通科の上位におった方が良いと思って断りました。
受験も終わったしもう卒業を待つばかり…という時に、友人から「木戸銭も交通費も全部払うから大衆演劇についてきて」と頼まれました。
他の子はまだ公立高校の受験が残っていたので、私なら来てくれると思ったのでしょう。 そうして初めて行ったのが、兵庫県の出屋敷劇場で、乗っていたのが劇団大川だったんです。
生まれて初めて観る大衆演劇が、もう衝撃的で。すごい世界があるんだ、毎日行きたい!って思いました(笑)。
当時、大川龍昇さんが座長で、弟である椿裕二座長は副座長でした。
次の公演先の新生楽園(兵庫)も、ほぼ毎日通いました。と言うのも、その当時劇団にいた役者さんをすごく好きになってたんです(笑)。
一緒にいたい→劇団に入るしかない!
ある日、三代目大川竜之助さんが声かけてくれました。
「いっつも来てくれとぉね。ご飯でも行こうよ」
「え、いいんですか!行きます!」
友人と2人、夜の部が終わるのを待ちました。
三代目と、好きな役者さんも後から来て、4人でご飯を食べて。 その時、三代目から「歳いくつ?」って聞かれて「18です」嘘つきました(笑)。
そんなこともあって、どんどん好きになって「この人といるためには劇団に入るしかねーな」と(笑)。 高校の制服まで買ったのに、高校行くのを辞めて劇団に入りたいと言ったもんですから、親は激怒です。
「出ていけ!」学校の先生も止めにきたけれど「絶対行く!今しかないんや!」って、友人と2人で劇団大川に入団したんです。
でも、好きだった人も、友人も、半年で辞めちゃいましてね。
何それ?!でしょう。あんたがおるから来たのに!って。まあ勝手に来たので文句言えませんけど(笑)。 私も辞めたかったけど辞められませんでした。 あの時一緒に辞めていたら今の私はなかったですよね。
もしも大衆演劇を観に行かなければ、どんな道に進んだでしょうか。
親は私を音大に行かせたかったみたいです。3歳からエレクトーンを習っていて、お金がないときに無理して買ったのに、私が出て行った時、真っ先に捨てたのがエレクトーンだったそうです(笑)。(今は和解して応援してくれています^^)