かんげき2024年4月号Vol.88
木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第28回おおみ愛里~おおみ劇団~前編
大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。 何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか? 劇場オープンから8年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第28回はおおみ愛里(おおみ あいり)(おおみ劇団)編・前編です!
はじめに
「大衆演劇」に携わる木戸番に従事すると、一ヶ月が非常に短く感じるのである。 また、劇団があがりゃんせ劇場にいる初日から千秋楽までの一日一日が、とても早く流れていくのも事実である。
そんな中、あがりゃんせ劇場も、もう2年あまりで創設10年を迎える。2016(平成16)年 の1月が柿落としであった。初お披露目の演目は「かつき夢二」劇団によるお芝居であったと記憶している。
それから8年あまり。平穏な時ばかりが流れた訳ではない。いろんなピンチにも見舞われてきた。
なかでも日本中を疲弊されたあの「コロナ禍」による影響は、劇場にも劇団にも大きなダメージを与えた。人々の外出規制からくる劇場やセンターの公演の中止、劇団員の感染、劇団経営の悪化から、廃業に追い込まれた例もあった。
ピンチは誰にでもやって来る。
さて、私事で申し訳ないが私のピンチは令和5年12月22日に自宅で転倒、顎の骨を折って一ヶ月間入院したことである。1月16日には無事退院し、1月17日からはあがりゃんせ劇場の木戸番の仕事に復帰した。
やはり業務になれている木戸番が長くいないと現場が混乱するらしく、お客さまと劇団には多大なるご迷惑をかけた。