木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第13回真珀達也~三桝屋座長~後編(4/4)
Ⅴ
筆者が真珀達也に初めて会ったのは、劇団の荷下ろしの時である。2021年10月30日午後9時であったと記憶している。
筆者は初めて来た劇団に、「あがりゃんせ」や「あがりゃんせ劇場」の生活やルールを説明するのが、最初の仕事である。
大概は、劇団の女将的な女性が多いが、三桝屋は座長自らが来てくれて、説明を受けてくれた。物分かりがよかったので、筆者はストレスを感じなくてよかった。
いい青年だと思った。
筆者が、初めて化粧した達也を見たのは、初日の舞踊ショーであった。
踊りにキレがあって大きいのである。
3年前に、あがりゃんせ劇場でキレのある大きい踊りを見たことを、思い出した。
そのとき舞台にいたのは180センチ越えをする役者であった。
ショーがはねて、筆者は、達也に聞いてみた。
「君は180センチ以上あるの?」
「いえいえ、178くらいですよ」
「大きく見えるね」
「そうですか」
「君のようにキレのある大きい踊りを、前にもみたよ。180センチをこえる役者でね、龍美麗だったよ」
「それは光栄です」
その日から、達也座長はキレのある大きい踊りをしたが、千秋楽まで期待を裏切る ことはなかった。
筆者は、真珀達也に好きな言葉を聞いてみた。
達也は言った。「『人たらし』ですよ」
そういえば普段の会話の中でも「人たらし」はよく使っている。
しかし「人たらし」という言葉の使い方は、実はむつかしい。
多分、本人は「周囲の人たちから好感を持たれることや、そのような人物」を「人たらし」というと理解していると思う。
しかし、人たらしには「他人をだますこと」や「他人をだます人」という意味もある。
しかし、この「他人をだますこと」や「他人をだます人」は、達也は当たらない。
あがりゃんせ劇場の11月公演中、つまり「三桝屋」の上がっている間に、劇団をまきこむような事件が、2つも起きた。
一つは、テレビクルーの不手際で、芝居のシーンを2回も撮ることになったが、達也はいやな顔もせずに、芝居のシーンを撮り終えた。
もう一つは、芝居の開始時間と、あがりゃんせのイベントの開始が重なった。芝居の開始を15分ずらしてもらって事なきをえたが、その時もいやな顔もせず、応じてくれるだけでなく、芝居も予定時刻に終わって、観客は感心していた。
達也の解釈通り「人たらし」が、なぜ良い意味で使われるようになったがと言うと、そのルーツはあの農民出身で、天下統一を果たした豊臣秀吉にあるようだ。
司馬遼太郎は、自分の著書の中に、人の懐に入るのがとても上手だった豊臣秀吉のことを「人たらしの天才」と言っている。
さて、真珀達也が大衆演劇界の太閤になれるのか、筆者は楽しみにしている。
その可能性については、かつて謙太郎座長が祐希に言っている。
「君には大衆演劇の一流役者になる可能性を感じる。だから一緒に、日本一の劇団を作ろう」ってね。
プロフィール
小野直人
生年月日 | 1953年 |
---|
1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。
劇団情報
三桝屋
平成30年(2018)に結成65周年を迎えた伝統ある老舗劇団。 市川市二郎の名跡は、約100年の伝統を持つ。 平成16年(2004)に「市川市二郎劇団」から「三桝屋」に改名。 劇団オリジナルのお芝居も多く、劇団のお芝居と伝統を大切に受け継いでいる。 主役=座長にとらわれず、「みんなが主役」をつとめ、若い座員達の成長と活躍も目が離せない。 令和3年(2021)に真珀達也が新座長を襲名。