木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第18回あつし~花柳願竜劇団~前編
大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。
何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか?
劇場オープンから6年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第18回は花柳願竜劇団 あつし編・前編です!
はじめに
商売柄、長く大衆演劇の仕事に携わっていると、その歴史に触れることもある。
大衆演劇の専門書によれば、昭和、それも終戦直後、しばらくすると大衆演劇の舞踊ショーには劇団による生演奏があって、その出来栄えを競ったものと記している。
※
ある日の事である。 ある劇団の太夫元がショー終わりの夜の劇場の舞台で、アルトサックスの練習をしていた。
わたしは、ジャズでも聞けるのかと期待して聞き耳をたてていると、バード(チャーリー・パーカー)のチェロキーではなく、カラオケにあわせての「長崎は今日も雨だった」の演奏だった。
さすがに、その選曲には驚いたが腕前は確かだった。
私は、その太夫元に訊いてみた。
「舞踊ショーのなかでは、舞台でお得意のサックスを吹かないのですか?」
「これは、趣味で吹いているだけで、お客さんには聞かせないよ」
「じゃ、もう劇団での生演奏はしないのですか? 」
「確かに昔は生演奏を舞台でやったよ。 わたしも生演奏のできるバントをもっていたし、今の千代丸劇団のおじいさんの時代は、本当にうまい演奏をして、お客さんもその演奏を待っていたものだったよ。
もっと昔、レコードが珍しい時代には、レコード係がいて舞台にレコードプレーヤーをあげて、それで踊ったこともある。本当にアナログで、手作りだったよ。
しかし、今はパソコンで曲も選んでいる。 そんな時代に劇団の生演奏はしないし、しようと思っても、実際にはできない」
なるほどである。
あがりゃんせ劇場にも、いろんな劇団を迎えているが、生演奏をしている劇団は皆無である。 私自身、もう、そういう時代ではないと感じていたし、そう信じていた。
「花柳願竜劇団」の存在を知るまでは……。