木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第30回恋月彩圭前編(3/4)
Ⅱ
踊りの稽古には、いやなイメージも残っている美香ではあったが、祖母の熱心な勧めもあって、今度は「月宮流」のおっしょさんのところで、舞踊の稽古をはじめた。
「月宮流」は、劇団としての活動もしていて、その活動の発表の場はもっぱらお祭りであったが、そこでは、踊りの披露と同時に芝居もしなければならず、美香は困っていた。 当時、美香自身は根っからの人見知りで、声も小さく、人前でしゃべるのが苦手であった。そんなわけで、踊りに専念した。
美香も厚木北高校に進学すると、170センチの高身長を生かしてバレーボール部でエースアタッカーとして活躍したが、同時に踊りにも精力的にがんばった。
「月宮流」には、発表会があった。 その発表会、おっしょさんが振り付けした曲で踊るのであるが、1曲踊ると出演料として会によっては1万円~1万5千円を支払うシステムがあった。家族の出費がふえるが、発表会には参加したかった。家族にもいい加減な踊りは見せられない。ますます踊りに励んだ。
美香は、高校の卒業を間近にひかえ、将来を考えた。就職である。
自分には、好きな踊りがある、発表会もあるしお祭りもある。土日が完全に休みの就職先、つまり工場勤務が最適であると考えた。また、就職した暁には、是非、果たしたい事もあった。
候補に挙がったのが、名古屋に本社を持つ「ノリタケカンパニーリミテッド」の子会社である「東京砥石株式会社」であった。 その会社では、工業用の砥石の製造をおこなっていた。
かくして、美香は「東京砥石株式会社」に無事正社員として就職を果たした。
会社では、品質保証課でラベル作成を受け持った 就職をはたした後は自らの目的に向かって行動を起こした。 それは、「月宮流」の名取りになることであった。
ところが、名取りになるためには、お金がかかるのである。 具体的に100万円が必要であった。 1年間、給料から貯金して、予算額の100万円を工面。無事、「月宮香恋」という名前をいただいた。
美香、19歳の秋の事である。