木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第31回恋月彩圭編後編(2/4)
Ⅴ
彩圭は、熊本の劇団勇舞にいた。 冬の夕暮れ、テーブルで携帯がけたたましく鳴っている。 取ってみると、知り合いのプロモーターからの連絡であった。
「徳島にいる優木劇団が困っている。助けてくれ。」
「わたしが行っても芝居も何もできませんよ。」
「それでもいいよ。いいから、行ってほしい。」
劇団勇舞の総座長に相談した。
「行ってあげなさい。今までぬるま湯につかっていた恋月には、いい機会と思う。」
劇団の応援に行くということは、芝居と舞踊ショーに出ると言うことである。わたしは、役に立たない。迷惑がかかる。この時ほど、芝居のできない自分を恨んだことはなかった。
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2019年(平成31年)2月、徳島の「天満座」に到着した。 座長の優木誠は歓迎してくれたが、優木劇団は座長、息子の直弥、手伝いの役者が二人だった。 もちろん女優は彩圭一人である。
その日から稽古がはじまる。 39歳の女房に14歳の亭主である。無茶は承知の上である。次の日の芝居もきまっている。とにかく、台詞を頭にたたき込む。
劇団勇舞の総座長に言われた言葉が蘇る。
「もらった台詞は、必ず覚えなさい。下手なのは仕方がない、でも、台詞を言わなければ、芝居が進まない。だから、へたくそでも、台詞は、しっかり覚えなさい。」
次の日の芝居を覚える。台詞を叩き込む。気がついてみると、1日中、台詞以外のことは話していない、そんな日が続いた。でも、1カ月乗り切った。
次の公演先は青森の「深浦観光ホテル」であった。同じ出し物が続く。ほっとする。
そんな中、休みを見つけて金沢のお客さんと、金沢で公演している劇団寿を観に行った。
「いい劇団だ」と言う印象が残った。この劇団が、彩圭に大きな縁をもたらすのであるが、それには、少々時間がかかる。
「深浦観光ホテル」で稽古と舞台を繰り返していると、神奈川の知人から「劇団つばさ」を紹介してもらった。
「劇団つばさ」は、単独公演に出演させてもらい、その後岩手の「桃の湯」で1ヶ月公演に参加させてもらった。 座長のつばさ準之介にも、本当によくしてもらい、色々とアドバイスをしてもらった。
その年の晩夏、優木劇団から連絡があり、「座団丞弥」が旗揚げをするので一緒に行くかと声がかかる。
快諾し10月には、劇団丞弥と合流。 丞弥座長をはじめ劇団のみんなも、彩圭にやさしく接してくれて、彩圭も、劇団になじんだ。 それから1年5ヶ月、寝食をともにする。
中でも、彩圭の誕生日に、静華姉さんが自分のために演技指導をしてくれた芝居「恋の大川流し」は、いまだに忘れがたい思い出であると振り返る。
さて金沢で舞台を観て以来であったが、劇団寿の翔聖座長とはSNSを通じて知り合っていた。 その劇団寿は、金沢の「おぐら座」にいた。
双方が今の事情を報告しあい、大阪での千秋楽でそのまま合流。彩圭は7月と8月の2ヶ月、お世話になることになる。
フリーの座員をしていると、劇団との出会い、そして別れの繰り返しになるが、再会を果たすこともある。