木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第36回副座長咲田せいじろう前編~劇団松丸家~(4/4)

Ⅱ
仕事の合間の趣味は、パチンコであった。パチンコ店に通っている間に、オーナー夫婦とも仲良くなった。
そんな時のことである。 最近、そのパチンコ店に来ている美人がいた。 オーナー夫婦は、恋人のいなかった晴生にその美人を引き合わせようと、晴生からということでコーヒーをプレゼントした。
結果、パチンコ仲間として仲良くなった二人であったが、その美人は、上下町にあるスナックに勤めていると情報が入り、早速、晴生はスナックを訪れた。 その美人はスナックのスタッフではなく、大衆演劇の劇団の女優、松丸家美寿々であることが判明した。

スナックには、社会経験と芝居に出てくる酔っ払いの心理と行動を勉強したくて働いていたのだ。
スナックで二人が打ち解けると美寿々は自分がやっている仕事についても話をした。 そんな話の中、美寿々の劇団は「矢野温泉あやめ荘」に乗っている事を話したのである。
確かに、矢野温泉は30年程前まで、たいそうな人気があり温泉街を形成していた。その中心に「矢野温泉あやめ荘」があったのであるが、「あやめ荘」は2016年12月25日に惜しまれつつ閉館している。
しかし、晴生が美寿々と知り合ったときは「あやめ荘」は人気の絶頂、華やかな存在であった。 晴生は美寿々に「今度、舞台を見に行くよ。」と言うと、美寿々は晴生に「そんなことを言っても来た人はいないから、期待しないで待ってるわ。」
その言葉にむっとした晴生は、次の日、「あやめ荘」の最後尾で美寿々の芸を観た。そして、感動し、惚れた。

そんないきさつもあり、晴生の誠実さに心引かれた美寿々は、信頼の念を持ち二人の距離は近づいた。 晴生は、劇団のためにというより美寿々のために「乗り込み」の手伝いを始め、劇団員とも親しくなった。
若い二人である、晴生と美寿々はつきあいだして、しばらくすると美寿々のお腹に新しい命がやどった。「松丸家ちょうちょ」である。 そして、結婚した二人であったが、晴生はトラックの運転手を続けていたし、もちろん美寿々は、劇団の看板女優である。
そんな中途半端な生活に不合理さを感じた晴生は、トラックの運転手をスパッとやめ、劇団に入って、役者となって結婚生活を維持した。
晴生は役者になることを父に報告に行った。
「何をしてもいい。けど、いったん決めたことは、続けることが大切だ。継続は力なりだ。」
晴生もその言葉を胸に、がんばる決心をしたが、なんと言っても大衆演劇では素人である。芝居などできるわけがない。
劇団の仕事を手伝ったりもするが、役に立ったのは「照明」をするくらいであった。 晴生、21歳、美寿々18歳の春であった。
続く
プロフィール

小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。
劇団情報
劇団松丸家
昭和59(1984)年7月1日、松丸家美里が旗揚げ。 平成11(1999)年に14歳で松丸家小弁太座長が座長就任。 人情劇、喜劇を得意分野とし、「とにかく笑顔に、元気になっていただく」がモットーの 暖かで癒し溢れる劇団。ファンとの交流も座員全員が大切にしている。
劇場情報
スパリゾート雄琴 あがりゃんせ
滋賀県大津市苗鹿3丁目9-5