木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第35回葉山花凛編後編~嵐瞳劇~(3/4)

Ⅳ
1年が経過して、花凛の気持ちは落ち着いた。が、どうしても芝居や舞踊ショーの世界に戻りたいという衝動は日に日に強くなり、心のおもむくままに、劇団の公演先に向かった。
花凛は、自分の未熟さを劇団員に詫び、メンバーも温かい微笑みとハグでその思いを受け止めてくれ、花凛は戦線に復帰した。
そんなある日のことである。座長の母である葉山京香は、公演のない1ヶ月の間、入院したのである。 京香には心配事があった。それは息子の事である。
「私がいなければ、芝居や舞踊ショー以外なにもできない息子なのです」
まさに生活もままならない。そこで息子の面倒を花凛に頼んだ。
筆者は、京香に尋ねてみた。
「そんな事をしたら、劇団の人気が落ちるでしょう」
「はい。覚悟の決心でした」
それを機に、座長と花凛の交際は進み、令和3年、結婚をした。 そして長男の想蘭が令和4年9月に誕生、妹の澪は令和6年5月に生まれた。
劇団にも大きな動きがあった。 2018年(平成30年)4月のことである。芸歴24年、頼れるバイプレーヤーとして活躍をしていた女優の「高野花子」の参加が決まったのである。
「高野花子」という女優とは、花凛が下町かぶき組の責任者であった高橋茂紀の「責任公演」で、一緒に汗を流している。 なぜ、この劇団に参加をされたのであろうか?
『もう一度、基本に戻り、芝居に向き合いたかったのです。若い劇団なら、丁寧に、芝居作りをしているのではないか、それで、参加を決めました』
また、同じ年、平成30年には「葉山桃羽」が入団する運びとなった。 桃羽は14歳から「藤間劇団」に入り、女優として活躍してきた経歴を持っていた。萌香とは以前からの知り合いで、すぐに劇団に溶け込んだ。
「嵐山瞳太郎劇団」は、本格的に劇団活動に邁進した。
2022年(令和4年)、「嵐山瞳太郎劇団」は「嵐瞳劇」と名前も変えた。
もともと嵐山瞳太郎劇団という名は、大衆演劇のファンのみなさんに座長の名前を覚えてもらおうと、嵐山瞳太郎と名前を全面にフューチャーしたものだった。この5年間で、その名前は大衆演劇のファンの知るところとなり、「嵐山瞳太郎劇団」の名はその使命を終えた。
「嵐山瞳太郎劇団」を短くして「嵐瞳劇」となり、もっと短くすると、RHGとなるのである。
そして2023年3月。 18歳の葉山詩音が入団した。 詩音の祖父は、日本舞踊の家元で、その影響をうけて、詩音は幼い頃から踊りやお琴に親しんでいた。 また、祖母は「大衆演劇」の大ファンで、詩音をよく観劇に連れていった。そんな詩音が大衆演劇の女優に憧れるのに、時間はかからなかった。 高校を卒業すると、自らが推しであった嵐山瞳太郎が座長を務める「嵐瞳劇」に入団した。
2024年8月、「嵐瞳劇」嵐山瞳太郎を座長に劇団員7人が「あがりゃんせ劇場」にのってきた。
