読者投稿第16回読者投稿大衆演劇という艶やかな世界劇団炎舞
ペンネーム:すーちゃん さん
身近に劇場がない土地で生まれた私は、この艶やかな、大衆演劇という世界を知らずに生きてきた。
転勤先の和歌山で、仲良くなった友達のお母さんから無理矢理連れて行かれたぶらくり劇場。
芝居があって、ショーがあって、こんな感じの流れね。って分かり始めた5年前の3月12日。
いつも半笑いで観てたお芝居で、涙を流しながら熱演してた役者さんに釘付け。
私は、知らないうちに胸が熱くなって涙を流して。今までみた所と全然熱量が違う!なんだこれ!!って衝撃を受けて‥
お芝居は「浅草の灯」。
大衆演劇のお芝居は、昼と夜が違ったりもするので、芝居は出逢いだなぁと思ったり。
今でも「浅草の灯」は大好きなお芝居で、とんでもない熱量のお芝居をしてた役者さんは、橘炎鷹座長でした。
次に見たお芝居が、大工の留ちゃんで、物凄くコミカルなお芝居でびっくりで。お芝居で大笑いして、そこからはどんどん大衆演劇の世界が知りたくて。このドキドキの正体は何かと。劇団炎舞が大好きになりました。
炎鷹座長、舞踊では神々しい程の袴踊りと、後光がさしてそうな女形。特に、一曲目の女形は祈るような気持ちで見てしまいます。息をひそめて、そっと天女とかの踊りを盗み見てるような気持ちになる。
見終わったら、 ほぉ~っ ってため息がでてそして、 私今炎舞を観てる····· って思うのです。
あと、炎舞と言えば若手の弾けまくってる笑顔と、成長する姿も眩しくて。
若手の良きお兄ちゃん、橘鷹勝花形は、人懐っこい笑顔が可愛らしいのですが、舞台に正直で努力家。舞台が大好きなのだと感心します!
気さくなイケメン橘鷹志さんは、小物使いもオシャレで、どんどん成長していく姿にワクワクします!
炎鷹座長の娘さんの 橘あかりさんは、ますます美しさに磨きがかかって、舞踊でハッとさせられる事も沢山あります!
毎日でも観たい見所満載の劇団炎舞ですが、引越しした都合であまり見れなくなりました。 でもある時、自分達はいつでも頑張ってるから、都合がつく時いつでも見に来たらいい!って言葉をかけて頂いたことがあって。
以前の様に見る事は叶わなくなったけれど、これからも 今私は炎舞を観てる… って幸せや感動を貰いながら、大衆演劇という艶やかな世界を観続けて行きたいと思います!
すーちゃんさん
寄稿誠にありがとうございます!
読ませてもらって、すーちゃんさんの5年前に受けたという感動が伝わってきました^^
「浅草の灯」はKANGEKIでも過去に取材させていただいたお芝居で、座長から「思い入れのある1本」と伺いました。顔の表情や、ちょっとした動きの1つ1つに心情が籠っていて、引き込まれますよね。
また、ぶっ飛んだ三枚目に、後光が差して拝みたくなるような舞い姿。座長の振り幅には驚かされっぱなしです。
花形はじめ若手メンバーもいつも明るく、舞台が好き!という気持ちの強さがビシバシ飛んできますよね。
すーちゃんさんが救われたというお話も、大衆演劇ならではと思いました。艶やかで、心の通う世界ですよね…
まだまだ制限の中での観劇が続き、何とももどかしいですが、どうぞ無理のない範囲で、長く楽しめますように。
カンゲキサイトでも大衆演劇情報を発信いたしますので、少しでも楽しんでいただければ幸いですー!
カンゲキスタッフ
劇団情報
劇団炎舞
昭和63(1988)年3月に初代座長橘魅乃瑠が兵庫県のホテル後楽圓にて「橘劇団」を旗揚げ。平成14(2002)年3月、橘魅乃瑠の息子・橘炎鷹が座長襲名し、劇団名を「劇団魅星」に改名。その後、体調不良により一時舞台を離れたが、平成20(2008)年より再び座長として舞台に立ち、劇団名を「劇団炎舞」に改名。まさに不死鳥のごとく新たな炎鷹ワールドを展開。2018年に結成30年を越え、若手の成長も著しい。