旅芝居ささえびと第8回橘劇団マネージャー・鈴木優子さん(3/4)
劇団・劇場からの信頼
入団時から、マネージャーという肩書なのですか?
いえ、マネージャーという肩書は、三代目の父の水城新吾が付けてくれたんです。
大五郎座長も、鈴木さんの働きぶりによく言及されています。
三代目は直接『優ちゃん、ありがとう』って言ってくれるんですけど、総座長は私を褒めてくれることは絶対ありません(笑)。怒ることは多々あっても(笑)。でも、ある方から、『総座長は、あなただったら受け止めてくれるから、そうしてるんだよ』と言われて、少し安心しました。
この池田呉服座の社長からも、「鈴木さんは、劇団についてどんな細かいことも全部把握している」と信頼を寄せられています。
嬉しいですね。私の救いは、劇場の方や興行師の方がよく褒めてくれたり、労ってくれることです。新開地劇場の皆さんや、浪速クラブのママさんも。『鈴木さんがいるから劇団がうまくいってるんだよ。鈴木さん、絶対来なきゃダメだよ』って。
中でも、亡くなられた東京の篠原淑浩会長は、私の心の支えでした。いまの代表もそうですが、会長は裏の人間にも気を遣ってくれて、支えになってくれる方でした。裏の人間を気遣ってくれる人は、あまりいないじゃないですか。私の話を聞いてくれて、会うたびに言葉をかけてくださって、本当に元気づけられました。
早乙女太一さんとの共演をプロデュース
昨年の7月13日に、新開地劇場で夢を一つ実現できました。早乙女太一くんと三代目の共演を、全部、私がプロデュースしたんです。太一くんのことも小学生の頃から知っています。いまも、よく橘劇団に遊びに来るんですよ。三代目のことを、兄貴分って言ってくれて。私は太一くんが来るたびに、『私が死ぬまでに一回、三代目との共演をやらせて』って言っていました。そしたら太一くんは『いや大丈夫、死なないから』って(笑)。ユーモアのある子なんですよね。
去年、やっとチャンスが来ました。総座長は何も言わずに、私にやらせてくれました。チケット作り、販売、グッズ製作、袋詰め、当日の受付。他のみんなに手をかけないように、一人でやりました。
準備期間は?
太一くんのスケジュールの関係があって、7月に入ってからのチケット販売でした。
たった2週間で準備されたのですね!
それでも800人近いお客さんが来てくれて、大成功に終わりました。太一くんが『次は800超える!』と言ってくれたのが嬉しかったですし、お客さんが喜んでくれたのが何よりでした。劇場の方にも『これだけの準備期間で、この人数を入れたってことはすごいよ』と言っていただけました。
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