かんげき2024年7・8月号Vol.90

旅芝居ささえびと第8回橘劇団マネージャー・鈴木優子さん(3/4)

劇場:池田呉服座取材日:2024年4月8日
旅芝居ささえびと 第8回 橘劇団マネージャー・鈴木優子さん(3/4)

劇団・劇場からの信頼

 

入団時から、マネージャーという肩書なのですか?

鈴木

いえ、マネージャーという肩書は、三代目の父の水城新吾が付けてくれたんです。

橘大五郎座長の父・水城新吾さん
2019年ご逝去
楽屋の大五郎座長の化粧前のそばに、お位牌が安置されています。
 

大五郎座長も、鈴木さんの働きぶりによく言及されています。

鈴木

三代目は直接『優ちゃん、ありがとう』って言ってくれるんですけど、総座長は私を褒めてくれることは絶対ありません(笑)。怒ることは多々あっても(笑)。でも、ある方から、『総座長は、あなただったら受け止めてくれるから、そうしてるんだよ』と言われて、少し安心しました。

 

この池田呉服座の社長からも、「鈴木さんは、劇団についてどんな細かいことも全部把握している」と信頼を寄せられています。

鈴木

嬉しいですね。私の救いは、劇場の方や興行師の方がよく褒めてくれたり、労ってくれることです。新開地劇場の皆さんや、浪速クラブのママさんも。『鈴木さんがいるから劇団がうまくいってるんだよ。鈴木さん、絶対来なきゃダメだよ』って。

中でも、亡くなられた東京の篠原淑浩会長は、私の心の支えでした。いまの代表もそうですが、会長は裏の人間にも気を遣ってくれて、支えになってくれる方でした。裏の人間を気遣ってくれる人は、あまりいないじゃないですか。私の話を聞いてくれて、会うたびに言葉をかけてくださって、本当に元気づけられました。

楽屋のこまごまとした仕事は、絶え間なく。
「優ちゃん、お願いできる?」と頼まれて縫物をしたり。
出番を終えた人の着物を畳んだり。
ベンジンで白粉汚れを落としたり。
ふと立ち上がり、座長の背中の白粉を広げに。
右手に座長の鬘に差す簪を握ったまま
左手の無線で舞台上へ伝達。
「そのまま(無線)2番でお願いします」。

早乙女太一さんとの共演をプロデュース

鈴木

昨年の7月13日に、新開地劇場で夢を一つ実現できました。早乙女太一くんと三代目の共演を、全部、私がプロデュースしたんです。太一くんのことも小学生の頃から知っています。いまも、よく橘劇団に遊びに来るんですよ。三代目のことを、兄貴分って言ってくれて。私は太一くんが来るたびに、『私が死ぬまでに一回、三代目との共演をやらせて』って言っていました。そしたら太一くんは『いや大丈夫、死なないから』って(笑)。ユーモアのある子なんですよね。

去年、やっとチャンスが来ました。総座長は何も言わずに、私にやらせてくれました。チケット作り、販売、グッズ製作、袋詰め、当日の受付。他のみんなに手をかけないように、一人でやりました。

 

準備期間は?

鈴木

太一くんのスケジュールの関係があって、7月に入ってからのチケット販売でした。

 

たった2週間で準備されたのですね!

鈴木

それでも800人近いお客さんが来てくれて、大成功に終わりました。太一くんが『次は800超える!』と言ってくれたのが嬉しかったですし、お客さんが喜んでくれたのが何よりでした。劇場の方にも『これだけの準備期間で、この人数を入れたってことはすごいよ』と言っていただけました。

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