舞台裏の匠たち第12回アイディア光るオリジナルかんざし浅草「コマチヘア」
今月の「匠たち」は、“かんざし”に注目!
浅草に三つの店舗を構える、かつら・かんざしの専門店「コマチヘア」を取材しました。劇団で揃いのアイテムを購入したり、大衆演劇ファンが推しへのプレゼントを探したりするお店として、長年支持されています。役者の名前を入れられる「名入れかんざし」「名入れ扇子」も人気です。
取材日の午前中に第二店を訪れると、店内は既に海外からの観光客や、常連のお客さんで大混雑!接客やレジ打ちの合間を縫って、お話を聞かせていただきました。
原点はかもじ職人だった祖父
創業は大正14年ということです。
はい、われわれ兄妹の祖父・伊藤米三(いとう・よねぞう)が始めたお店です。もともと祖父は、向島のかもじ職人の下で、丁稚をやっていました。その後独立して、浅草に『小町屋商店』というお店を出しました。
美しい人を「小町」と言いますが、店名の由来はそこから?
そうです。周りからは小町屋さん、小町屋さんと呼ばれていました。しばらくは鬘・かもじを中心に商売を営んでいました。
当時、芸者さんなど花柳界の人たちに利用いただいていたのが、うちの原点ですね。のちに洋鬘を扱い始めました。下の部分がネットになっていて、すっぽり被るタイプの鬘です。きっかけは、川上音二郎(※)の海外遠征に同行した床山さんが、洋鬘を仕入れて、祖父のところに修理の相談に来たらしいです。祖父は洋鬘を見て、『これからはこういう鬘の時代が来る』と思い、自分の店で扱い始めました。日本の頭髪業界では、かなり画期的な第一歩だったようです。
※川上音二郎…1864生~1911没。俳優、興行師。一座を率いて、アメリカやヨーロッパの公演を成功させた。
祖父は新しいもの好きだったみたいです。人毛だけでなく、化学繊維で作る鬘も、早くから取り入れました。その周辺商品としてかんざしを扱ううちに、だんだん商品が増えていきました。
どなたが創業者の跡を継いできたのでしょう?
祖父の子どもには女の子が多くて、二代目社長は長女の夫です。三代目は女の子の中で一番下だった僕の母の夫、つまり僕の父です。僕は四代目です。新仲見世に第一店があるんですが、昔はその上が家でした。浅草のお店って、下が店舗で、上が家っていう人がすごく多いんですよ。だから子どもの頃から、店が家の一部みたいな感じでしたね。
子ども時代は店番をするのが当たり前のことで、レジがおもちゃ代わりみたいなところがありました(笑)。
子どもの小学校の同級生が結んだ縁
大衆演劇との関わりも長いのでしょうか。
そうですね。浅草は、浅草公会堂など劇場が多い町ですから、芸能関係のお客様が多くて、舞台用の派手なかんざしは昔からたくさん扱っていました。大衆演劇では、いまは浅草木馬館のみですが、昔は大勝館もありましたよね。
昔、新仲見世の第一店にいたら、大勝館に乗っている劇団の子が、白粉を塗っている途中で足りなくなっちゃって、走って買いに来て、『白粉ください』ということがありました(笑)。
それから、うちの娘が近くの小学校に通っているんですが、ある日『木馬館に出ている子が転校してきた』と。たまたまその子と娘が仲良しになったんですが、その子が見海堂劇団のキラリ☆かのんちゃんでした。娘が、かのんちゃんを観に行きたいと言うので、僕も一緒に観劇しました。
SNSで、かのんちゃんの名入れかんざしをアップされていました。
はい、娘が観に行くと何かプレゼントしたいと言うので、何を贈ろうか、僕が毎年考えています。
私の同級生にも、劇団の子役で1か月だけの転校生がいました。やっぱり土地柄で、大衆演劇との縁は深いですね。
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