播州赤穂(現兵庫県赤穂市)の大名、浅野内匠頭は高家筆頭吉良上野介のいじめに耐えかね、ついに江戸城中で刃傷に及んでしまう。お家断絶となった浅野家の家老、大石内蔵助は討ち入りを叫ぶ家臣達をなだめるが…
いわゆる日本三大仇討ちの筆頭で、当時から大きな話題を集めた元禄赤穂事件を扱った題材です。忠臣蔵の題名は、寛延元年(1748年)に初演となった「仮名手本忠臣蔵」に由来します。これは歌舞伎や浄瑠璃の脚本として最高峰ともいわれて、数多く上演されました。いわゆる忠臣蔵ものも大人気で、映画や芝居でも「困った時の忠臣蔵頼り」という言葉が生まれるほどでした。「仮名手本忠臣蔵」では史実の名前と異なった役名が用いられていますが(例・大石内蔵助→大星由良之助、浅野内匠頭→塩冶判官)、大衆演劇の場合はおおむね史実の名が用いられています。「お軽と勘平」「赤垣源蔵徳利の別れ」などの場面も有名です。また、お岩さんで知られる「東海道四谷怪談」は、忠臣蔵の外伝として書かれたもので、関連する人物も登場します。