旅芝居女優名鑑第9回中村美嘉~劇団美山~(2/6)
第2章 手汗いっぱいの初芝居
1週間で幕開け舞踊に
入団して舞台に出るまで、すぐでした。
1週間もしないうちにショーの幕開けで出させてもらってました。
今は入団してすぐ舞台に出るとかはないですけど、その時は「入りました、よろしくお願いしますー」って、すぐに出てました。
今だったら踊りの手も曲の1番から3番まで違うんですが、その頃は1番と3番が一緒だったので、すぐに覚えられたんですね。今みたいに複雑じゃなかった。㐂代子先生が真ん中で、その後ろに並んで手拍子したり。
着付けは最初は誰かにやってもらってました。 自分で着るようになったのにはきっかけがありまして…片岡演劇場に乗った時、丘みどりさんという女優さんに「え、自分で着れんの?」と言われた時、初めて「自分で着れんといけんのんや」ってなったんです。
その後、㐂代子先生に教えてもらって、1人で着られるように毎日練習しましたね。
芸道の師匠は中村㐂代子太夫元。
一から十まで全部教えてもらいました。入った当時、めちゃめちゃ厳しくて、よく怒られてました。でも稽古が終わったらめちゃめちゃ優しいんです。15歳と言ってもまだまだ子どもだったので、㐂代子先生がお母さんみたいな感じ。「これ食べ~」とお菓子をくれたり、一緒に買い物に連れて行ってくれました。
当時座長だった江味三郎先生はものすごく優しかった。怒られた記憶がないくらい、優しかったです。先生のことは副座長(里美京馬)までは覚えていると思います。
15歳でおかみさん役デビュー
初めてのお芝居は、入団1ヶ月後でした。
確か「雪月花」。その頃「愛憎流転」と言っていたお芝居で、おかみさんの役をやりました。15歳でおかみさんの役?って思いますが、私、その頃から24、5歳に見られてたんですよ。老け顔なんですかね(笑)。
初めてのお芝居は、手汗がいっぱい出たという記憶しかないですね。どんなセリフだったか記憶もないです。あと、何か怒られたイメージしかないです。
私、褒められたことないんです。 江味三郎先生は優しいけど褒めない人でした。ダメだった時は、怒らず、ただ「もっと頑張らんとな」。 㐂代子先生に「もっとこういうふうに言わないと、おかみさんにはならんよ」って教えてもらって。
ところで「中村美嘉」の芸名はどなたの命名だったのでしょう。
江味三郎先生がつけてくれました。
「お姉ちゃんが『りか』で、その妹だから『みか』」と。結構あっさりしてるでしょう(笑)。
姉は私が入ってから3、4年で退団し、今は2児の母になっています。
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