旅芝居女優名鑑第10回花形錦りか~劇団錦~(2/6)
第2章 タレント事務所と劇団の両立
「推し」に会いたくて
14歳から16歳までタレント事務所に所属。
藤ヶ谷太輔さんというジャニーズのタレントさんにハマってまして、どうしても会いたくて、事務所に所属すれば会えるのではと思いつき、ダイエットを頑張ったんです。
おかげで合格して、ドラマや雑誌に出させてもらいました。憧れの藤ヶ谷さんとも会えたんですよ。現場ですれ違い様にちょっとだけだったんですけど、それですっかり満足しちゃって。16歳だったかな、事務所を辞めました。今はジャニーズのジャの字も興味がないです(笑)。
タレント事務所の仕事とかけ持ちで、大衆演劇の舞台にも出続けました。
中学2年から高校1年まではタレント事務所のレッスンに通いながら、大衆演劇の舞台に立っていました。
当時の劇団錦は今より人数が少なくて、苦しい時期でした。でも焦ることはなかったですね。そこから少しずつメンバーが増えました。
劇団で下積みからスタート
同じ頃、熊本で学業に専念していた兄のカムイも劇団に戻り、兄妹揃って舞台に専念することに。
座長も姉さんも、幕外から役者なった人間です。下積みから始めて、この世界の厳しさを身を持って知っています。だから、他に座員さんがいる中で、私もカムイも「役者として腕がなかったら、花形にも若座長にもさせない」と言われてきました。「座長の子だから甘えるな」と……。
実力が全て、特別扱いは一切なし。
他のメンバーと同じように、座長の衣装出しからスタートです。今でも、きらとやらいとの腕が上がって、座長から「花形を変更する」と言われたら文句言えない。そんな環境です。
稽古の日々
お芝居や舞踊はどんなふうに稽古を?
お芝居を好きになり始めたのは小6から中学に上がる頃です。いつも舞台袖で見ていて筋は頭に入っているので、口立てしてもらったセリフを録音して覚えました。
芸道上の師匠は座長になりますが、周りの先輩たちがいたので、座長よりも先輩たちに教えてもらう方が多かったですね。みんな厳しかったですが、お芝居に関しては姉さんが一番厳しかったかも。
印象に残っているのは「岡崎の夢」というお芝居。
「岡崎の夢」の子役で出た時のことです。
本当のおっかさんが迎えに来て、育ての親に「向こう(本当のおっかさんの方)へ行け」と言われ、「いやだいやだ」とごねる場面がありますよね。
育ての親を座長が演るのですが、稽古の時、座長の言い方がめっちゃ怖いんですよ。あまりに怖くて、本番で「向こうへ行け!」って言われて「うん!」二つ返事で行っちゃった。みんな「えー?」ってなってました(笑)。後でめっちゃ怒られましたね。
その時、本当のおっかさん役の姉さんがフォローしてくれて。今、私がその役をやっているんですけど、どうやってフォローしたんだろ?って思います(笑)。
日舞の先生もまた厳しかった。
日舞を習っていたのですが、その先生がまた厳しくて。足さばきをちょっと間違えただけで、扇子でピッ!ってやられてました。カムイは覚えるのが早くて、1回見ただけで出来てたんですけど、私は出来ない。お稽古の途中で着物脱いで逃げたこともありました(笑)。
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