KANGEKI2021年6・7月合併号Vol.59

木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第6回錦はやと~劇団錦座長~(前編)

木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇! 第6回 錦はやと ~劇団錦座長~ (前編)

大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。
役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。
何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか?

劇場オープンから5年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。
第6回は劇団錦 座長錦はやと(にしき はやと)編です!

はじめに

現在、私は琵琶湖の西岸に位置する大津市内に住んでいる。 考えてみると、人生の大半をそこで暮らしているわけだが、私にとっては住み良い所である。

職業もいくつか変わったが、今は、『あがりゃんせ劇場』で木戸番をしている。 私の前職は、地方のテレビ局で構成作家を長年やっていた。そんな仕事上の関係が縁でスパリゾート雄琴「あがりゃんせ」に、還暦になってからお世話になっている。

自宅から、職場の「あがりゃんせ劇場」まで、車でおよそ15分の道のり。 通勤路には、2通りある。 一つは、湖を回るコース。もう一つは、山側をまわるコースである。

普段は、山側を回るコースを使っている。 その山とは、比叡山のことであり、その山は『最澄』ゆかりの山で、山のふもとは最澄生誕の地でもあると記憶している。

最澄は平安時代の僧で、一般的には、伝教大師として広く知られている。 御存じの通り、この高僧は中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建て天台宗の開祖となった。

あがりゃんせ劇場

通勤時には、最澄が残した「一隅を照らす」という言葉を随所で見かける。 この「一隅を照らす」であるが、正確には、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」だ。 一隅とは、片すみという意味である。

すなわち、この言葉は「片すみの誰もが注目しないような物事や人に、ちゃんと目を向ける人になりなさい。」と私自身理解していた。

通勤の途中に、比叡山高校という普通科の仏教系私立高校がある。 私は、この高校の出身者ではないが、同級生に元野球部の監督をしている者がいて、甲子園にも応援にいった。

最近は、すっかり進学校になり私の知り合いの息子も比叡山高校から現役で京大工学部に合格している。文武両道の素晴らしい高校であるが、正門の入口にも「一隅を照らす」と書いてある。

普段の通勤時で、この高校の入口にある「一隅を照らす」を見るたびに、ある種の疑問がわいてきた。

高校生に「片すみの誰もが注目しないような物事に、ちゃんと取り組む人が尊い人である。」といっても、ピンと来ないだろう。自分の事で精一杯の時期である。高校のスローガンとしては、いかがなものであろうか?

と思っていた矢先に、ある僧と親しく面談する機会に恵まれた。 そこで、この質問をなげかけた。そうすると、素晴らしい答えが返ってきた。 「一隅とは、今あなたがいる、その場所です。あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らしなさい。」というのである。

これで、この言葉のもやもやが消えた。

琵琶湖西岸

ようは、常にベストを尽くせというである。比叡山高校の生徒たちは、その青春の中で、常にベストを尽くしているのだ。

ひるがえって、私の仕事である木戸番に戻るが、通常、一ヶ月にわたる劇団の公演において、各劇団がその芸に集中して最高のパフォーマンスができるようにサポートするのが私の仕事であるが、そこで私自身が本当にベストを尽くしているかである。

普段、自我を優先している生活の中ではあるが、この「一隅を照らす」の精神では、他人、いわゆる劇団の生活に、いかによりそえているかである。 それと同時に、大衆演劇を観に来ているお客さんの要望にいかに応えて、満足感を与えることができているかある。

手を抜けば、いくらでも手を抜ける仕事であるので、そのへんは自分との戦いでもある。

劇場のルーティーンとして、月末には劇団が去っていき、別の劇団の乗り込みがある。 去っていく劇団は、社交辞令であろうが、また『あがりゃんせ劇場』にのりたい、小野さんに会いたいと言ってくれる。

そんな時、この劇団に「一隅を照らせた」のであろうか。月末には、人知れず、自問自答している。

あがりゃんせ劇場 木戸にて
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