木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第29回おおみ愛里~おおみ劇団~後編2/3
Ⅱ
千愛理の大衆演劇の裏方としての、修行が始まる。
千愛理、18歳の春である。
まずは、役者の楽屋内の生活の面倒をみること。
劇団のもっている番の着物や鬘、履きものなど、そして小物や化粧道具など、全部をおぼえること。
また役者個人個人の着物や履物、小物も覚えることである。
芝居や舞踊ショーがはじまったら、戦争である。
役者の着付けから、小物類の段取り、終わった着物の片付けなど、仕事は多い。 それをまち子ねえさんに一から十まで習うのである。
同時に、照明もマスターしなければならない。
4年はあっという間に過ぎた。
そんな時、「おおみ劇団」に緊急事態が起きた。それは3人の若手女優が、同時にやめたのである。
劇団のピンチに、千愛理に女優になってもらうことが劇団の総意であった。 裏方を担当していた千愛理を女優にする。その「千愛理を女優にする」という使命を託されたのは、座長になったばかりのおおみ達磨であった。
千愛理も21歳になっていた。 その使命をどう思ったのか、筆者は、おおみ達磨座長に聞いてみた。
「まずは、千愛理のことは中学時代から知ってはいたが、大人しいという印象でした。 裏方に入って、一生懸命仕事をしていますが、女優とは仕事のベクトルが違いますね。 でも、そんなことを言っていられない。女優の仕事をぼちぼちはじめました」
Q.どんなことから、はじめるのですか?
「まずは、舞踊ショーに出ることから始めました。最後にショーに入ってきて、最初にひっこむ役でした」
Q おおみ達磨座長は、千愛理に芝居の指導もしたのですか?
「はい。二人で芝居にも挑戦してみました。内気な性格ですが芝居をおぼえるたびに、うまくなっていきました。長年、ソフトテニスでペアを組んでいて、ふたりの間合いを肌で感じています。 これが芝居に生かされたのだと思います。
Q 達磨座長は千愛理の個人踊りまで指導しているのですね。
「個人の踊り。千愛理だけでなく、役者はだれでも一生の勉強ですよね」
ということで、時期が来て、大山千愛理はついに「おおみ愛理」となり、女優としてスタートした。
場所は、岐阜県にある「東洋健康ランド」というセンターであった。
それから5年。おおみ愛理は、いろんな劇場で、また、いろんなセンターで、今日は、あがりゃんせ劇場で、芸をみがいている。