旅芝居ささえびと第4回がんこ座代表取締役・井口光史さん「何よりも、お客さんが来やすい劇場にすること」(3/3)

舞台道具は社長手作り
この5年で、舞台道具もたくさん増えたと思います。
道具は私が自分で作っています。
井口さんの手作りだったのですか!
上手にはできないけども、作るのは好きです(笑)。松とか、行灯とか、千両箱とか、草ボカも作りました(取材班注:草むらのこと)。パソコンで画像を検索して、プリントアウトして、それを見ながら作っていくんですけど、なかなかうまいこといかないですね。
形はなんとかできても、絵を描くのが下手なんですよ(笑)。
でも劇団から『これはありますか?』って色々聞かれるんで、そしたら、作らなきゃいかんなぁと。買えば高いしね(笑)。やりだしたら面白くなりました。

10周年も迎えられるように
井口さんは、大衆演劇に関わる前はどのような人生だったのでしょう。
野球です。ずーっと野球ばっかりしてました。少年野球から、中学校でも野球、高校でも野球。就職したのは、電電近畿という実業団でした。現在でいうNTT西日本ですね。
22歳まで選手をやりましたけど、怪我で故障してしまって。そのあとも電電関係の色んな部署で働いていて、地元の和歌山に転勤になったときに、出身高校から高校野球の審判をしてくださいと頼まれました。
『いいよー』と引き受けたら、今度は審判の難しさ、面白さにのめりこんで。高校野球の審判を、だいたい20年やりましたね。
そしたら今度は、実業団のチームから実業団の審判をしてくださいと。高校野球と並行して、実業団の審判も20年くらいやったかな。
選手時代のポジションはどこを?
キャッチャーです。投手には色んなタイプがいるから、キャッチャーがそれぞれの投手の良い所を引き出していかないとね。
野球、旅芝居、色んなものに、のめりこんでこられたと思います。井口さんのこれからの夢は?
夢は、やっぱり、この劇場を維持していくこと。今は大変な時期ですけど、10周年も迎えられるようにね。
きっと、あっという間ですね。
取材後記
取材日のがんこ座は大賑わい。しかも、お客様の様子を見ていると“地元の常連さん”の占める割合がすごく高いのがわかりました。
どの劇場も地元のお客様の心をつかもうとするけれど、それがどれほど難しいことか。
「劇団さんがこういう道具が要ると言うので」「お客さんたちがやってほしいと言うから」。
ほな、やりましょか。そんな風に、スイっと相手の心を思い遣る井口さん。身軽でテキパキ、でも飄々とした雰囲気をまとっています。
野球でも投手を思い遣る、名キャッチャーだったはず!
劇場情報
大衆劇場 がんこ座
大阪府泉佐野市笠松2-6-36