舞台裏の匠たち第7回着付け師・大門良美さん「帯を持った瞬間に帯結びが閃きます」
大衆演劇の舞台を支える凄腕の方々をご紹介する連載「舞台裏の匠たち」。第7回は、関東のさまざまな劇場の楽屋で、活躍する着付け師・大門良美さんです。
オリジナルアレンジを生み出す着付けの腕はもちろん、今の座長たちが幼い子どもだった頃から「ねえね」と慕われています。
最愛なる夫は東京大衆演劇協会所属の役者・大門力也さん(2018年9月にご逝去)。力也さんについて多くの公演先を回る中、夫を支えながら、自身も着付け師としてのスタートを切りました。
楽屋に“座っているだけ”は嫌だった
大衆演劇の家系ではなく、一般のおうちの生まれと聞きます。
はい。生まれは、熊本県熊本市です。夫が福岡県の小倉生まれなので、偶然、出身は二人とも九州です。でも私は一歳で東京へ引っ越したので、熊本のことは全然覚えていないんですよ。東京の足立区が第二の故郷です。
学生のときに経理や簿記の資格を取って、就職してからは国税関係の仕事をしていました。その頃の私は無趣味で、仕事命でした。母が躾に厳しい人で、大学時代の門限が夕方6時だったんです。この門限を守っていたので、友だちと遊んでいても夕方5時45分には帰宅していました(笑)。
とてもまじめだったのですね!大衆演劇に出会ったのは。
妹と母が、大衆演劇が好きだったので、私も浅草木馬館へ誘われて、そこで大門に出逢いました。既に大門力也という名前になっていて、ゲストで藤川劇団さんに出演していました。今の藤川雷矢くんの師匠の劇団です。その頃に、大門と結婚しました。
ゲスト、芝居の助っ人として、力也さんの舞台を記憶している大衆演劇ファンは多いです。
その当時の大衆演劇では、ゲストで回っている役者さんは大門しかいなかったんです。大門の出演先は、東京大衆演劇協会の篠原淑浩会長が決めてくださっていました。だから、ゲストという形で長年やれたのは、篠原会長のお陰ですね。
ご結婚されて、良美さんのお仕事は。
辞めました。大門から言われて、出演先の劇団さんの楽屋に、私もついて行くことになりました。でも私の性分として、ただ座っているのが嫌だったんです。その劇団さんでお昼ご飯もいただいてるのに、ただ座っているだけでは申し訳ないし、大門が笑われてしまうと思いました。
楽屋の皆さんが着付けするのを見て、おこよ、お太鼓、柳、だらり結びなど、基本の結び方を頭に入れました。でも、実際にやってみると、力の入れ具合が想像と全然違っていることもありましたので、自分から『私に着付けさせてください』とお願いして、役者さんから『ここはこうやって結んでね』と助言していただく。そうやって覚えていきました。
自分から動く良美さんの性格が、着付けの腕を育んでいったのですね。
同時に思っていたのは、出しゃばったらいけないなと。その劇団の座長さんの着付けを普段やっている方がいらっしゃるのだから、私が手を出したら、普段、着付けしている方に失礼だなと思いました。なので、まず楽屋の様子を見ていました。
芝居の役柄に合わせた結び方などの、知識はどのように?
全部、大門に聞きました。『芸者は浪速では”おこよ”だけども、東では柳で』…大門力也は女形上がりの役者だったので、大門が知り得た知識をすべて教えてもらいました。私たち夫婦はいつも舞台の話をしていました。
力也さんは女形上がりということでしたが、かつて「ときわ劇団」という劇団で座長をしておられたそうですね。
大門は体が小さい人です。座長時代も女形が売りでしたが、好きなのは荒事でした(任侠物の芝居兼舞踊)。若柳流の踊りを習っていましたし、三味線、端唄、小唄もできました。
大門と私は、たくさんの劇団さんにお世話になりました。一つ一つの劇団さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
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