舞台裏の匠たち第7回着付け師・大門良美さん(5/6)
無音だった世界
ご結婚後はずっと激動の日々。ゆっくり過ごされた日はありましたでしょうか。
今ですね。でも、ゆっくりってこんなに辛いのかと思います。
今の生活で、良美さんの支えになっているものは。
9月頃から、音楽を聴くようになりました。私たち夫婦は、恋川劇団さんにずっとお世話になっていたのですが、初代 恋川純太夫元がiPodをプレゼントしてくださったんです。私に2台、夫に2台。曲は、鈴川桃子ちゃんが、私たちが好きそうな曲をピックアップして入れてくれました。
移動中や入院中、大門はiPodをよく聴いていました。亡くなってからは、iPodは大門力也記念館に置いていたんですけど、このあいだ、ふと、聴きたいと思って。
今は朝起きたら、天気予報を見るのにテレビをつけて、音楽をかけて、掃除を始めます。今日も出発直前まで音楽を聴いていて、大門に『行ってくるね』って言ってから来ました。
この4年で父、夫、母が他界しました。私の両親も、大門が大好きで、舞台を観に来てくれていました。だからiPodを聴いていると、大門と両親がみんな、ここにいると感じます。
大門が亡くなってから、私がいたのは音のない世界でした。テレビを見ていても、全然音が入って来なかったんです。着付けの仕事で楽屋にいるときは、皆さんとワイワイできて、とても楽しいです。私はむしろ、人を笑わせるのが好きなほうですし。でも家へ帰ると、無音でした。
今は、4年ぶりに音楽がちゃんと入ってきます。音楽とともに、ああだった、こうだったって、蘇りますね。寂しくないです、今は。
2019年3月、着付け講師の資格を取られたことをブログに書かれています。
私が一人で生きていくには、何ができるだろうと考えたんです。私にできることは、着付けだけ。美容師さんなど、着付けを覚えたいという人に教える資格を取りました。
力也さんの生き甲斐は舞台とおっしゃいました。良美さんの生き甲斐は何でしょうか。
大門の後ろ姿を見ているのが生き甲斐でした。私の幸せでした。昔から私を知っている方からは、『良美ちゃんはいつも大荷物持って、大門さんの後ろを歩いていたよね』と言われます。襦袢、さらし、洗濯物、自分の荷物も持って、大門の後ろからついて行っていました。
今は、残された者の責務があります。うちはお墓がないので、大門も、大門のお母さんも、お骨を永光寺さんに預けているんです。私がお墓を建てなきゃいけない。それを糧に生きています。
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