木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第21回舞咲碧士~正舞座~後編(2/3)
Ⅳ
「たつみ演劇BOX」の入団を迷っていた時期に、ある役者との接点ができた。
未沙葵の人生に影響を与えた人は多いが、中でもこの人物なしで未沙葵の人生は考えられない。後に「正舞座」を興す要正大(かなめ しょうた)という役者である。
年号が平成が令和に変わろうとしている時、要正大は自分の劇団を持つ準備をするべく、いろんな劇団と行動をともにしていた。 チーム純弥に出演した時に、未沙葵は正大のパフォーマンスを見た。
そのときに「たつみ演劇BOX」とは違う、運命的な出会いと全く新しい世界を感じた。
しかし、要正大は要正大である問題を抱えていた。 自分の劇団を持つにも、劇団員の確保が重要な問題である。 今のご時世、どこの劇団も座員不足である。新たに旗揚げする劇団に来てくれる役者がいるのか。
そんな時に、羅い舞座京橋劇場に現れたのが、未沙葵であった。 未沙葵は大衆演劇の稽古のために立ち回りの先生についていた。その日が立ち回りの稽古であった。バックに木刀があった。要正大はその木刀が目に入った。若い女性が木刀をもっている。 さっそく正大は未沙葵を劇団に誘った。
そして、要正大は、令和元年6月に「正舞座」を旗揚げし、未沙葵は「舞咲碧士(まいさき あおし)」となった。
座長に要正大。劇団員としては颯天蓮、舞咲碧士、舞咲龍茉、舞咲早耶香、陽月ゆり、陽月輝哉、舞咲花奈。後見役として、かつき浩二郎という布陣で「正舞座」はスタートした。
この旗揚げに親切に協力してくれた劇団は多かったが、その代表格が南條隆とスーパー兄弟で、 旗揚前に劇団ごと公演に呼んでくれたのである。
正舞座は関東の公演に2ケ月、参加させてもらった。そこで劇団のメンバーは着物も着れるようになって、化粧もおしえてもらった。台詞をいただいて芝居もした。
時間がどんどん過ぎる。 正舞座だけの公演、つまりゲストなし・助っ人役者なしの舞台が、令和元年の9月にせまってくる。
入ったばかりの劇団員が役をもらってお客様の前でやるわけである。 その時のことを碧士は振り返る。
「芝居だけでなく踊りのフォーメーションも変わるし、稽古稽古のあけ暮れで、もちろんプライベートな時間もない。私だけではない、メンバーも全員必死でした。」
寮の6畳1間で、座員ゲストを含め多い時は十数名が群舞の練習もある。明けても暮れても稽古である。果てしない稽古であった。
筆者は、その時の事を碧士に聞いてみた。
「とにかく、たいへんでした。どんどん新しい課題がでてきて、覚えるだけです。 ただ、その時の苦労を覚えてなのです。あまりにも、きつくって、覚えてないのです。」