木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!颯天蓮(正舞座)後編(4/5)
Ⅳ
劇団旗揚げ
令和元年の6月に正大と蓮は、庄内天満座で「正舞座」を旗揚げする。
蓮は43歳になっていた。
旗揚げ公演には、恋川純弥と長谷川桜はじめ、ゲストを入れた舞台であった。 旗揚げ公演は見事に成功したが、正舞座としてはこれから先に波乱が待ち受けていた。
正舞座だけの公演、つまりゲストなし助っ人役者なし舞台が、令和元年の9月に迫ってくる。入ったばかりの劇団員が役をもらって、お客様の前でやるわけである。 その時のことを蓮は振り返る。
「芝居だけでなく、踊りのフォーメーションも変わるし、稽古、稽古にあけ暮れて、もちろんプライベートな時間もないし、メンバーはよくついてきてくれたと思います。 やらなしゃあない(やらなければしかたがない)、みんなやらなしゃあない。でした」
蓮もみんなの着付けが終わった後で、自分も舞台に出て舞台をつとめる。 蓮の最大のピンチではあったが、最大の修行の場でもあった。
すでに蓮は姐さんと呼ばれ、指導していく身である。 蓮は寝ていない。メンバーも2時間くらいしか寝てない。
6畳1間で9人が群舞の練習もある。明けても暮れても稽古である。果てしない稽古であった。
その時の事を碧士に聞いてみた。
「とにかく、たいへんでした。どんどん新しい課題がでてきて、覚えるだけです。ただ、その時の苦労を覚えてないのです。あまりにもきつくって、覚えてないのです」
舞咲早耶香にも聞いてみた。
「あの稽古をしている前後の時間は止まっているのです、あまりにも覚えることが多すぎて、たいへんでした。ただ当時の状況は、覚えてないのです。辛いというより、とにかく濃かったのです」
人間、あまりにも過酷だったり、つらい経験は記憶から消そうとするのか。もう思い出すのも嫌なのか、それくらい過酷な日々だったのであろう。 しかし乗り切った。そんな過酷な時間を共に、乗り切った仲間は強い。