旅芝居女優名鑑第2回辰己小龍「女優は裏で支えるものと思っていた私は、意外と遅咲きなのかもしれません」
たつみ演劇BOXの女優リーダー・辰己小龍。
愛称「おやびん」。
「親分」じゃなくて「おやびん」。
この愛称がしっくりくるなあと思うのは、しっかり者で頼れる存在なのに、時折のぞかせる少女のようなお茶目さや、古典のきっちりしたお芝居が似合うと思いきや、「真夏の夜の夢」の妖精パックのような予測不可能な魅力を、小龍さんに感じるからでしょうか。
幼い頃から舞台が好きで、迷いなくこの道に進んで約30年。名女優と呼び声の高い小龍さんですが、意外にも遅咲きだったという事実が判明?!
辰己小龍ヒストリー、始まり始まり〜。
生い立ち・少女時代の思い出
舞台が大好きな女の子
二代目小泉のぼると辰己龍子の長女として生まれた小龍。どんな幼少時代だったのでしょうか。
大衆演劇の一家の三人姉弟の一番上に生まれて、父はすでに座長をしていました。初舞台は1歳だったか、大人に手を引かれて出ていたと思います。
学校へ行く年齢になった時、劇団から離れて母と自宅暮らしになって、普通に小中学校に行ってました。私は舞台が好きだったので離れたくなかったのですが、父の方針だったんでしょうか。
中学1年の時、劇団の人数が足りなくなって、1~2ヶ月学校休んで夏休みに突入するまで舞台に。大人の役をするのがそれが初めてでした。それから学校が休みの時や母が出る時にくっついて行ってました。
中学3年の1月、東京公演が決まったので、先に卒業証書いただいて、そのままずっと劇団に。
というわけで、親の引いたレールを見事に乗ってきました(笑)。
自称・天才子役!?
送り出しも出てなかったし、お客様の評価を聞ける時代ではなかったのですが…私、自分のこと天才子役だと思ってたんです(笑)。
「今日は最高の出来だった!」とか、1人で思ってましたね。
大人のセリフも覚えていて、誰がどこを間違えたかも知ってました。アラ探しして見てました…って、やな子供ですよね~(笑)。
父から学んだことは「物事の学び方」
父である二代目小泉ぼのるが、芸道上の師匠。その教えとは…
父はもちろんですが、母も女優として活躍していたので、自分もそうなりたいと思っていました。そうなることで父が喜んでくれるから。
中学校で吹奏楽部に入ってテナーサックスを吹いてまして、当時は舞踊ショーに歌謡ショーがあったので、劇団バンドでもサックス担当でした。
でも父は「楽譜見て吹くと感覚で出来なくなるから」と、部活には反対。
父は全て独学で、今日買って来たバイオリンを今日弾けるくらい、何でもこなしたんですよ(すごい!)。
家には父が揃えた歌舞伎、新国劇、映画などのビデオと、手書きの資料がたくさんありました。
父は思いついたら走り書きをして、ノートに書き写した後、捨てるのですが、私はそれを拾って残していました(笑)。
父の台本作りも私がサポートしていました。お稽古の時も、私を横に置いて、周りの稽古を見ながら言うことを私に書き留めさせていました。
「本は読むだけではなく、書いた方が覚えるので書き写せ」とも。
そんなふうに、芝居の見方、学び方の基本を教えてくれたのが父でした。