旅芝居女優名鑑第7回澤村かな~春陽座~「辛い経験も舞台で表現することで報われました」
まえがき
春陽座(はるひざ)の女優・澤村かな。
ひとたび舞台に登場すれば、その憂いをたたえた大きな瞳に吸い寄せられて、じっと見入ってしまう美貌の持ち主。
お芝居でも舞踊でも、決して派手にはしない。ささやかな灯火がじわじわ周りを温めてゆくように、観る者の心に訴え、気づけば、その人が作り出す世界の虜になっている…そんな力と情熱を秘めた女優さんです。
「芯となる人を引き立てるのが役目」として、父・澤村新吾(さわむら しんご)が旗揚げした劇団・春陽座を支えて来ました。
今年で芸道20年になる澤村かなの、知られざるエピソードに迫ります!
第1章 「寂しい」と言えなかった子供時代
1985年大阪生まれ。父は春陽座創始者・澤村新吾(さわむら しんご)。
今回のインタビューにあたり、過去の雑誌を探して見つけたのが「花舞台」2005年1月号。女優シリーズ「舞台華」に、澤村かなの短いインタビュー記事がありました。
そこに「初舞台は16歳で最初は女優という仕事に興味がなかった」とあるので、意外に思い尋ねてみると…
はい、その通りです(笑)。 小さい頃、夏休みと冬休みのたびに母と一緒に、父の劇団に遊びに行って、みんなが可愛がってくれるので楽しかったんですが、舞台には全然興味がなくて(笑)。
小学校の低学年の時に、一度だけ、父と「島田のブンブン」を踊りました。
父が伍代孝雄(ごだい たかお)座長と劇団松竹をやっている時で、孝雄座長のお母さんが「せっかくやから出たら」って、着物までこしらえてくださったんです。
あと、「神崎東下り」と言うお芝居に、ちょこっと座っているだけの役で出ました。舞台に出たのはその2回だけです。
私の母は父の2番目の奥さんで、私の上に腹違いの姉と兄がいます。 兄が一時期、二代目澤村新吾として舞台に立っていましたが、今は普通の仕事をしています。父の子で役者をやっているのは私1人ですね。
役者は人気商売ゆえ、妻子の存在を隠すのが普通だった時代。
父に会いに行く時はいつも裏口からこそこそと、コートに隠されながら入っていました。「私、悪いことしてないのに、なんで?」って思いましたが、我慢していましたね。
かなが小学4年の時、両親が離婚することに。
父と母、どちらについていくかという話になりました。その時、父も母も再婚することになっていて、どちらに行っても居場所がなさそうに思って、父方の祖母と暮らすことにしました。
寂しかったです。でも、寂しいって言っちゃいけないんだって子供心にわかっていました。父に甘えることも、わがままを言ったこともなかったです。
母と父の劇団に遊びに行っていた時も、帰りたくないって言ったらあかんねやって我慢して、よく帰りのバスの中で、母に見つからないように、窓の方を向いて泣いていました。
高校1年の時、再び2つの道が示されました。
祖母が90歳近くになり、体力的に私の面倒を見きれなくなって、父のところか母のところか、どちらかに戻りなさいと言われました。
母の方は、再婚相手との間に男の子がいたので私の居場所はなさそう。父の方は、新しいお母さんとの間に子供がいなかったのと、劇団という団体生活だったので、こちらなら居場所がないこともないやろうって、舞台には興味なかったんですが、父のところに行くことにしたんです。
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