木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第1回美月凛(紀伊国屋劇団)前編
大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。
役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。
その「外からの役者」たちは、何がきっかけでこの世界と出会い、どのような思いで飛び込み、日々過ごしているのだろうか?
劇場オープンから5年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ!
はじめに
座長「小野ちゃん、今回の公演中にゲスト来るよ。」
小野「う~ん、何人? 」
座長「前半ひとり、後半ひとり」
小野「あれ~どちらも花形クラスやね。」
座長「どこも苦しいから。わかるよね? 」
小野「う~ん。わかるよ (どこもコロナの影響で大変なのだ)」
こんな会話が、乗り込みの時に行われるのは初めてではない。
私の名前は、小野直人、このエッセイを出筆している。
琵琶湖の畔、滋賀県大津市にある「あがりゃんせ劇場」の木戸番である。
コロナ禍のなか、どこの劇場も劇団も経済的、精神的に被害をこうむった。 もちろん、わたしども『あがりゃんせ劇場』も同様である。
スパリゾート雄琴あがりゃんせ
ご存じのとおり、今年(令和2年)、「新型コロナウイルス」という目に見えない敵は、世界中で荒れる狂い、2月には日本中を席巻。高校野球の中止にとどまらず、伝統ある大相撲を無観客にした。ついにはWHO(世界保健機関)が「パンデミック」に入ったことを宣言、東京オリンピック・パラリンックの開催延期にまで至った。
コロナは経済面にも暗い影をおとした。 もちろん、大衆演劇の世界にも暗雲がひろがった。 「あがりゃんせ劇場」を例にとってみても、3月に「千代丸劇団」、4月には湖国初お目見えだった「劇団冨士川」、5月には「劇団紫吹」も公演ができなかった。
まだ「あがりゃんせ」のようなセンターに乗っている劇団は、ある程度の収入は保障されているので、被害総額は少ないが、劇場に乗っている劇団は、劇場閉鎖やお客さんが来館を自粛されると、たちまち生きていけない。 公演の機会にあぶれた劇団は先の見通しもつかない。生活にも困る。体力のない劇団は、運営を維持していけなくなる。最悪の場合は解散もありえる。
しかし、明けない夜はない、やまない雨もない。いずれは人類は「新型コロナウイルス」に勝利して、大衆演劇界も雄々しくよみがえるであろう。 とはいうものの、このコロナ禍で劇団の痛手は深刻で、やむなく劇団を去った人も多く、劇団は必要最低限の役者で構成しているところが多いと聞く。
家族で劇団を構成しているファミリー劇団としても、『腹からの役者』を待っているには時間がない。どうすれはいいのか。確かに一朝一夕に役者は出てこない。
そんな中、こんな役者がいることも知っていただきたい。 わたしがこのエッセイを書こうと決意したのは、令和2年の10月「あがりゃんせ劇場」に『紀伊国屋劇団』が乗ってくれて、この役者と知り合ったことがきっかけだった。