木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第16回染弥あかり~劇団紫吹~前編(3/3)
Ⅱ
早速、彼女は親と一緒にその舞台を見に行った。 その色白の男の子は、大人に混じってしっかりとした芝居をして、後半の舞踊ショーでは、踊って見せた。 その姿を見た瞬間に、あかりは子供心に驚愕し、同時に憧れすらも感じていた。
その後、その子役は青森を去ったが、あかりの大衆演劇に対する興味は深く心に残り、一時のマイブームではなくなっていた。
あかりは親と連れだって最寄りのセンターに出向き、また、時間をかけてでも劇場に通い、いろんな劇団の芝居や舞踊ショーを見るようになった。
そして、次第に役者に憧れるようになった。
小学校も6年生になると、大衆演劇の役者になるという意思が明確になってきた。
彼女には、大衆演劇の役者になるための、ウエポンズ、武器があった。 小学2年生から、親の知り合いが教えている「踊りの教室」に通い、日本舞踊を続けてきたが、大衆演劇を見てからは、なぜか真面目な生徒ではなくなってきた。
今やっている踊りと大衆演劇の踊りに若干の違いが見えてきたのである。 しかし、あかりは今やっている踊りの技術の基礎は、大衆演劇にも十分役立つと、確信していた。
中学生になっても、大衆演劇の役者になるという夢の火は消えなかった。 しかし、自分の意思とは関係なく、人生には予期せぬことがあるものである。 それは、突然の事件であった。
中学の2年生の時、些細なことから、イジメの標的になってしまったのである。
友達が離れていって、結局一人ぼっちになった。 ところが友だちがいなくなった。そのことが、あかりの人生に大きく影響したのである。 つまり、その心の空白を埋めるために、熱中したのが大衆演劇の観劇であった。
あかりが、中学校3年生になった時だった。 家から見える山に、さくらの蕾がふくらみはじめたころ、さわやかな春風といっしょに、青森に、ある劇団がやってきた。 それが、K劇団であった。
K劇団は、都会的なセンスのある劇団で、芝居に舞踊ショーに非常に評判の良い劇団だった。あかりがK劇団にのめりこむのに、時間はかからなかった。
そして、あかりは、ついに行動を起こした。 中学3年生の夏休みに、K劇団に体験入団したのである。
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プロフィール
小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。
劇団情報
劇団紫吹
平成21(2009)年4月、若葉劇団で研鑽を積んだ紫吹洋之介座長が旗揚げ。 座長を中心として個性あふれるメンバーだが結束は固い。 各人の持ち味を大切に生かしながら舞台を繰り広げている。 深みのある人情芝居に定評がある。