KANGEKI2022年8月号Vol.71

木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第18回あつし~花柳願竜劇団~前編(3/3)

劇場:スパリゾート雄琴 あがりゃんせ
木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇! 第18回 あつし ~花柳願竜劇団~ 前編(3/3)

まずは、あつしのプロフィールからご紹介しよう。

あつしは、本名を、伊東篤(いとう・あつし)という。平成6年(1994年)3月8日生まれで、現在28歳、うお座のA型である。

ちなみに、うお座で3月8日生まれは、働き者で、実用主義。 親しみやすく、想像力が豊かで、魅力あふれる個性の持ち主である。強いて弱点を言えば、「優しすぎるのが、玉にキズ」であるそうだ。

若頭 あつし
2022.6.3
あがりゃんせ劇場

篤の生まれは関東で、神奈川県の横浜市鶴見区である。おしゃれな街の生まれである。

地元の小学校から中学をでて、隣県にある工業高校に進学。電気科で電気に関する勉強を始めたが……篤の夢は電気とは何の関係もない、「声優」であった。 確かに、筆者は、あつしに初めて会った時に、「いい声をしている」とおもったほどである。

高校を卒業すると東京は八王子にある専門学校の扉をたたいた。 そこには声優科と俳優科とあったが、もちろん篤の専攻は声優科であった。 専門学校は2年コースである。

1年目は、声優科も俳優科も同じ様な基礎を学ぶのであるが、授業では声優科は、原稿を手にマイクに向かっていた。また違う日の授業には、舞台に立って芝居の稽古もあった。

マイクに向かう日々と、舞台で身体全体を使って表現する事を体験すると、妙な感覚にとらわれた。篤は正直に自分に問いかけてみた。そして重大な判断をすることになる。

「自分は、やっぱり大きな声を出し、身体を動かすことのほうが性に合っている」

2年目からは、声優科をやめて、俳優科にはいった。

お芝居「マリアの告白」 役人役のあつし
2020年1月10日
香芝天満座

初めて実家をでて一人暮らしで夢も広がったが、常にお金の心配もつきまとった。 考えられるアルバイトを片っ端からした。 コンビニのレジ打ち、引っ越し業者、居酒屋のスタッフ……など。

なかでも、楽しかったものに、映画やテレビのエキストラがあった。 顔が出るわけでもない、もちろんセリフなんかはない。しかし、映像に参加している充実感は、不思議とあったのである。

エキストラは楽しいが金にはならない。このままいくとプータローになる。 危機感を感じていたが、そんなある日、フリーの役者をやっている女性が、妙な話を持ってきた。

その女優はこんな話を始めたのである。


『自分は今、ある劇団で大衆演劇の役者をしている。その劇団は「花柳願竜劇団」という。歴史のある立派な劇団ではあるが、現在は人材不足、役者不足で困っている。座長は「花柳願竜」。

(9月号に続く)

プロフィール

小野直人

小野直人おの なおと

生年月日 1953年

1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。

劇団情報

花柳願竜劇団

関西大衆演劇親交会所属。座長の父・花柳武雄の師匠である女剣劇役者・大内洵子の代から続く劇団である。
昭和45年(1970)花柳武雄が受け継ぎ、「花柳武雄劇団」となる。
創立当初は松竹の劇団として小劇場、外国公演を経験し、昭和46年(1971)より大衆演劇へ転向。
里見劇団・初代里見要次郎を師とし、二年の修行を経て、昭和48(1973)より旅回りの大衆演劇劇団として始動。
平成元年(1989)花柳願竜が座長を受け継ぎ、「花柳願竜劇団」と改名。
“お客様との心のふれあい”を大切に、歌舞伎演目から現代劇、喜劇、剣劇、人情劇、生バンド演奏と幅広いジャンルで魅せる。 中でも、しっかり笑わせしっかり泣かせる人情劇に定評がある。
お客様からのリクエストにそって演奏する生バンドは劇団の大きな特徴の一つでもある。 演歌はもちろん、民謡や懐かしのベンチャーズメドレー、本格的なギター・ドラムソロまで。バラエティ豊富である。
劇団創立45周年を迎え、さらなる前進が期待される。 「心の奥に隠れている感情を思い出し、感じていただくべく、 舞台とお客様との呼吸、ふれあいを大切にお芝居を進めてまいります。 お客様と舞台を一緒につくりあげるという精神のもと、 おひとりおひとりの感情に寄り添う大衆演劇ならではのお芝居をお楽しみください。」

劇場情報

スパリゾート雄琴 あがりゃんせ

滋賀県大津市苗鹿3丁目9-5

スパリゾート雄琴 あがりゃんせ公演予定