木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第19回あつし~花柳願竜劇団~後編
大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。
何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか?
劇場オープンから6年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第19回は花柳願竜劇団 あつし編・後編です!
Ⅲ
花柳願竜劇団は、もともとファミリー劇団であった。座長の妻も女優、子役に娘が2人いた。
ファミリー劇団にはありがちだが、子供は子役として舞台にたって芝居をする。 子役は米びつと言われるほど重宝されたが、本人は転校に転校を繰り返す。
中学を卒業すると高校には行かずに、そのまま劇団で役者になるパターンが多い。 その場合は、役者の数は減らない。その役者は、早い目の結婚をして、三代目を作る。その子が、子役になり転校を繰り返して中学を卒業すると、役者になる、
役者の数は、減らないどころか増える。そういった劇団は、繁栄する。 それは、子供が男の場合である。
「花柳願竜劇団」は違った。娘が2人である。2歳ちがいであった。
願竜座長は考えた。
二人の娘には家業の大衆演劇にはこだわらず、好きな人生を歩まそうと決心したのである。
結果、長女は高校を卒業すると、3年間看護学校に通って看護師になった。そして、循環器内科で働いた。
次女は、短期大学で幼児教育を学び、幼児園の先生を目指した。2人ともキャリアアップのスタートについた。
その娘2人を育てるために、女優であった母も劇団を去り、娘たちのお母さんになった。
家族を取られた劇団に残った願竜座長は、苦労の連続だった。
劇団には役者が少なくなっていた。そこで、座長は役者確保にやっきになっていた。 昔の仲間も助けてもくれたが、慢性的に役者不足は解消できなかった。
願竜座長は、ゲストも頼んだし、1年契約の役者も抱えた。そんななかに、篤の先輩でもある女優もいたのである。
その先輩は、専門学校にいた4人の若者に目をつけて、「花柳願竜劇団」に送り込んだ。その4人の中に篤もいたが、篤は大衆演劇を観たこともなかった。全くの門外漢であった。
それでも、1か月の体験入団が始まった。挨拶の仕方からはじまり、下働きを覚え、基本の着物、化粧、鬘を学ぶ。初めてのことばかりであった。
篤にすれば、大衆演劇は楽しみの芸事ではない。しっかりとした就職なのである。 新人の頃は、本当に慣れないことを、一生懸命に学んだ。
しばらくすると。篤は「芸名」をもらう。それが、「あつし」であった。 しかし、3人いた仲間も、1人去り、2人去りして、残ったのはあつしだけであった。
2014年の秋の事である。 劇団の事情もあり、「体験入団」から3か月後には、早速あつしは舞台にデビューしたのである。
栃木県の鬼怒川温泉のセンターだったが、緊張のあまり、そのデビュー作品についてはまったく覚えていない。
そのあとは、座長の指導をうけて、芝居も舞踊ショーも必死で勤めた。 まさしく、自分のことでいっぱいで、劇団のことなども考えているひまもなかった。 そして、月日は流れた。