木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第34回葉山花凛編前編~嵐瞳劇~

大衆演劇の劇団の多くは座長とその家族で構成されている。 役者の家系に生まれた、いわゆる幕内の人間が過半数を占める中、一般家庭から役者になった人もいる。 何がきっかけでこの世界と出会い、日々過ごしているのだろうか? 劇場オープンから9年、木戸番兼劇団のお世話係を務めてきた著者が綴る実録エッセイ。 第34回は嵐瞳劇(らんとうげき)葉山花凛(はやま・かりん)編・前編です!
はじめに
齢70歳を向かえると、月に1度、病院に通うことが生活サイクルの一部になっている。 診察をうけ、若いドクターに励まされて、次は「薬局」に行く。
連日の猛暑の中、7月31日の真っ昼間のことである。30歩も歩くと額に汗を感じながら、薬局にたどり着く。
薬局の前には、大きい桜の木がある。 春にはピンクの花で人々の目を楽しませ、夏には蝉のデートスポットのなり、喧しくあぶら蝉が鳴いている。
鳴いているのはオスだけで、大きな声で鳴くことで仲間に存在を知らせる目的と、最大の目的はメスへの求愛アピールである。オスというものは、どの世界でも大変である。
その桜の木を覗き込むが、蝉の鳴き声はするが蝉の姿がみえない。 そこへ、自転車にのった少年が近づいてくる。手には、捕虫網(虫取り用の網)を持っている。
少年が木の下に着いたら、急に蝉が鳴くのをやめた。危険を感じたのであろうか。 少年の虫かごには、たくさんの蝉が入っていたし、中には弱ったり、死んでいる蝉もいた。 思い返してみると、私も子供の頃はたくさんの虫たちの命をなにげなしに奪ったものだった。残酷だった幼い自分を深く反省していたら、蝉が一斉に鳴きはじめた。
わたしは蝉のありかを探すが見えない。子供の頃はすぐに見つけられたが、今は不思議なことに見えないのである。 そばにいる少年に蝉のありかを訊いてみると、「あそこと、あそこ」と促された。言われた所を見ると、確かに蝉はいる。 蝉取りに興味のなくなった私には、もう蝉の姿は見えないのである。
毎日通っている道に、新しくビルができている。新築のビルが建つ前には、どんな建物があったのかも思い出せないのは私だけであろうか。興味のないことには、目にもとまらないのである。