かんげき2025年7・8月号Vol.96
木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第36回副座長咲田せいじろう前編~劇団松丸家~(3/4)
劇場:スパリゾート雄琴 あがりゃんせ

晴生は中学校を卒業すると、広島県立上下高等学校に入学。高校でも卓球部に所属し、真剣に練習に取り組みますます実力をつけていって、県大会では表彰台の常連となっていた。
高校3年になり、就職を考える時期になると、本人は父と同じトラックの運転手になることを望んだ。しかし、親戚の反対にあい高校の就職担当が勧める、三交代制の工場に勤めることになった。
その工場では、エンジンの鋳造をしていた。 鋳造とは、型に溶かした金属を流し込んでエンジンパーツを作る仕事であり、その技術者として晴生は従事した。
しかしながら仕事に魅力を感ぜず6ヶ月で退職。 その後は、造園の仕事や、重機の免許を取ってブルドーザーやクレーンの仕事をしたが、結局、最初に自分が決めたトラックの運転手になって、その後の生活を支えた。
ところが、晴生は18歳の若さで、悲しみを連続して迎えることになる。
自分たち兄弟を、仕事で忙しかった父に代わって面倒を見てくれた祖父が他界したのである。数ヶ月後には、祖父の後を追うように祖母も旅立ってしまった。 そして、その7ヶ月後には父も亡くなり、迫家としては3回も続けて葬式をだすことになった。
その後、三兄弟は行くところをなくしたが、亡くなった父には兄がいた。 その兄には子供がいなかったので、晴生を養子としてむかえいれた。叔父さんが父になったのである。
晴生の弟と妹はそれを機に独立したが、晴生は兄弟の生活のバックアップをするために、トラックの運転手としていっそう精を出した。
