旅芝居ささえびと第3回三吉演芸場新社長・本田明子さん(3/3)
3年半前から決まっていた社長交代
お兄様から社長を代替わりされたのは、どのような流れだったのでしょう。
2018年に母が亡くなったときに、これから演芸場をどうしようかっていう話し合いを、兄と姉と私の3人でしました。兄は、母がここを建て替えたいと思った時に、母から社長業を継ぎました。それが1998年のことです。
それからずーっと、兄は一生懸命守ってきてくれたんです。だから話し合いのとき、『もし兄がやらないのであれば私にやらせてほしい』と、私、手を挙げてしまいました(笑)。
じゃあ3年半後にそうしようという約束になりました。手を挙げた時は、3年半後か、ずいぶん先とたかをくくっていたのが、あっという間に経っちゃったんですよね。
手を挙げられたのには、お母様が遺した劇場という思いもあるのでしょうか。
そうなんです。母が遺してくれた劇場ですし、ここまで残すには色々な方のお助けを頂いています。そういう意味で母も、「義父の遺した劇場を、自分の代ではつぶせない」と言っていましたけど、私も同じ思いです。
それに劇団さんを観ていると、親から子へ、子から孫へと受け継がれて、次の世代が頑張っているじゃないですか。じゃあ、劇場もそうしなくちゃって。
三吉でワッと人気が出るのは、どんな劇団なのでしょうか。
やっぱり一生懸命な劇団さんですね。2月に乗られた森川劇団さんも、とっても良い舞台でした。成長盛りのご子息とお嬢さんがいて、とても人気だったんです。
コロナの影響でお客様が少なくても、まったく変わらず、舞台を務めていただける。そういう劇団さんは、私個人としてもすごく好きですし、応援したいですね。
母は、『下手でも一生懸命やっていればいい』って言っていたんです(笑)。でも私は、プロでお金をいただいている以上、下手ではダメだと思うんです。
きちんとしたレベルの方たちが、一生懸命やっているということが、お客様の気持ちを惹きつけると思います。
もう一つ、劇場の変化があります。お外題の貼り出しが、印刷ではなく手書きになりました。
その昔、父が毎日のように貼り出しを筆で書いていまして、子どもの頃、その様子を横に張りついて見るのが好きでした。ワープロで打った貼り出しは整然として、とても読みやすいですが、これを機に私も筆にチャレンジしようかと思い立ちました。
幸い、親戚に書道の先生がいて、社長になる前の6か月くらいで筆の使い方を教わりました。今も毎日少しずつ練習しています(笑)。
貼り出しのために、書道を習われたんですか!達筆です。
とんでもないです!筆を使うのは小学校の授業以来ですので、しばらくは温かい目で見ていただければと思います。
最後に、これから三吉演芸場を訪れるお客様に、メッセージをお願いします。
かつて、私が大衆演劇にのめりこんだとき、観たことないという友達がほとんどでした。
劇場のご近所の方でも、いらしたことのない方は多いです。残念ながら、大衆演劇はいまだ、特殊な世界と思われているのかと思います。かつての私がそうであったように。
でも決してそうではなくって、日本の芸能文化のジャンルの一つですから。みんなで、守っていきたいと思います。
私が劇場を継いだ目的の一つは、お客様の裾野を広げて、大衆演劇を盛り上げたいということでした。
だから大衆演劇ファンの方には、好きな劇団だけ、この劇団だけとこだわらずに、色々な劇団さん、色々な劇場さんに足を運んでいただけたらと思います。
みんなで盛り上げて、この文化を育てていけたら嬉しいです。
取材後記
インタビュー中も、終始やわらかに話してくれた本田明子社長。静かなたたずまいの中に、強い思いを感じさせる方でした。
前売り券をはじめ、新社長の思いが一つずつ、形になっている劇場。館内の写真を撮影していると、「今度、劇場のチラシを新聞の折り込みに入れていただくんです」。
母、兄が長年守り続けた劇場を受け継ぎ、三吉の変革が始まっています。