KANGEKI2022年6月号Vol.69

特別公演劇団九州男二代目椿千春襲名披露公演椿千春インタビュー

劇場:朝日劇場取材日:2022年4月7日
特別公演 劇団九州男 二代目椿千春襲名披露公演 椿千春インタビュー

18年の役者人生 “たくや”から”椿千春”へ

舞台のある家で育った幼少期

 

このたびはご襲名おめでとうございます。お祖母様のお名前と伺いましたが、同じく役者をされているのでしょうか?

椿千春

そうなんです。お祖母ちゃんは茨城で役者をしてたんですが、年齢もあって辞めることになって。茨城の家が本拠地なので、旅役者というより全国へ行きながらまた戻ってくる公演スタイルでした。
お祖母ちゃんがもともと踊りの教室をやっていて、そこから舞台と客席を作りました。壁は全部鏡張りで結構広くて、照明もありました。梅南座より少し広いくらいかな。そこで育ったのでよく舞台で遊んでましたね。
1階は舞台で2階に住む場所があって、地下は倉庫。裏には曽祖母ちゃんが住んでた家があって、そこに着物を保管してました。あと喫茶店もありました。

 

椿さん(二代目)が舞台に立たれたことは?

椿千春

あります、あります。昔、椿千春一座として僕が中学生の頃ですね。中学時代までは二ヵ月間とかで群馬の草津温泉や岐阜、千葉…色んなところへ行かせてもらいました。

本格的に役者になったのは劇団九州男に来てからです。芝居、舞踊、化粧にしても、それまで自分が経験してきたものとは全く違いました。茨城の家はおばあちゃんの別宅で、本宅は東京にあって小さい頃から篠原演芸場や木馬館に連れて行ってもらってましたね。

お芝居「お役者変化」
 

劇団九州男に入団するきっかけになったのはどのタイミングですか?

椿千春

中学校3年生、夏休み終わりの方に木馬館へ行った時に、たまたま公演していたのが劇団九州男でした。その頃の座長は大川九州男、今の太夫元(杉九州男)ですね。良太郎座長は副座長だったんです。
自分はそれまで観劇に行っても、背もたれに背中を付けて座ってたのが、座長(大川良太郎)を見た時、初めて前のめりになって目が1.5倍大きくなったんです(笑) 妹も一緒にハマって、そこから2人で週末は茨城から鈍行電車で3時間半かけて東京への行き来を繰り返してました。
ずっと観に行っていたら、常連さんが声をかけてくださって、その方が篠原の千秋楽間際、太夫元に『この子が入りたいって言ってるんだけど』って。そしたら『中学卒業したらおいで』って言ってもらいました。
それが確か中学3年の秋口くらい、受験も考えていて塾とかも通ってたんですけど全部辞めて…。18年前の3月の千秋楽で入団してそこからです。

椿千春
 

そこからはずっと「たくや」さんとして役者をされたのですね

椿千春

18年間「たくや」の名前が染み付いて愛着もありました。この名前も入団当初、本名を書いてそこから座長が付けてくれたんです。漢字とかひらがなとか苗字付きだったり、太夫元から名前の候補の一覧をもらって「この中から決めて」って渡されました。

でも僕の中で、自分の名前は(良太郎)座長に決めて欲しいって思いがあって。夜の部の公演終わりに座長に名前の一覧を持って行ったんです。そしたら「ん~、たくやはええな。苗字はどれもパッとせんな。」その時、座長はちょうどお腹を空かせていて早くご飯を食べに行きたい感じで「ん~まぁええわ、お前、ひらがなでたくや。それでいこう。早くメシ来い。」って(笑) そのあとはココイチに連れて行ってもらいました。

それからずっとひらがなで「たくや」でした。覚えやすいし、お客さんからは「タモリさんと同じ字画。適当に付けてもらった名前かも知れないけどすごくいい名前だよ。」って言ってもらってましたね。

椿千春

家族からの重大な相談

椿千春

コロナの影響で実家に帰った時に、お祖母ちゃんが歳も歳だからって襲名の話が出て、その時は冗談半分で返してたけど、そのあと改めてお母さんから連絡があったんです。
『劇団を辞めて地元に帰ってきてくれへんか。こっちで名前を継いでみんなでやりたいってお祖母ちゃんが言ってるんよ…』って、お母さんもそれは同じ願いでした。

現実問題、家への仕送りもあるし劇団を辞めてしまうとその収入もなくなるから、生活面でも支えられない。でも、出来ることならお祖母ちゃんが生きている間に、そういう(名前を継いだ)姿を見せてあげたい。だから『分かった、ただ劇団は辞められない。劇団にいながら名前を継ぐ。それでも良いんだったら…』って、それで話の折り合いを付けて今回の運びになりました。襲名公演には、お祖母ちゃんもお祖父ちゃんも来てくれて、喜んでくれたので良かったな…と思ってます。

名前のジンクス

 

取材中、近くにいらしたお客様が声をかけてくださいました。「綺麗な名前になったねぇ」って…

椿千春

あはは(笑)自分も昔からお祖母ちゃんの名前で聞いてたので馴染みもあって綺麗だなって思うのと、字を縦に並べて縦半分に割ったときに、鏡文字になるのが全体の半分以上だと良いって昔から聞いたことがあって、『大川良太郎』もそうなんです。3文字・5文字のジンクスも聞いたことがあって、それも当てはまるので気に入ってます。自己満なんですけどね(笑)

 

今回のお芝居「お役者変化」についてお聞かせください

椿千春

座長が新開地劇場で座長襲名した時に上演したお芝居です。僕はその場にいなかったんですけどDVDで観ていつかやりたいと思ってました。役者の話なので今回ピッタリだと思って、内容も分かりやすいですしね。
お芝居が決まった当初は座長は兄弟子の役の予定だったんですけど、前日に足を痛めてしまったので、今回は丞弥座長にお願いすることになりました。でもお友達もみんな来てくれてすごく楽しい公演でしたね。

「お役者変化」大詰め
 

舞踊ショーでは大きな風船の中から登場する演出に驚きました!

椿千春

座長の襲名公演で、ピンクの鬘で着物のドレスを着て風船から出てくる演出をされていたのを見て、憧れてたのでさせてもらいました。

個人の舞踊はずっと続くとお客様もだれてしまうと思うんで、インパクトの強いもの、目新しいものを入れるように意識しています。

大きな風船!

今後、挑戦したいことを教えてください

椿千春

自分でオリジナルの芝居を作ったり、三味線や日舞の古典的なものを覚えて、『これを踊らせたらパシッときまる!』そんな芸を身に付けたいです。ポップスのダンスばかりが新しいものじゃないと思うので、僕は今まで立ち役が8割でしたけど、藤娘やお七の古典の女形にも挑戦していきたいです。お客さんに『この子はこんなことも出来るんだよ』って自慢してもらえるような役者になれるよう”椿 千春”になった今、これからもっと努力していきたいです。

取材メモ

椿さんの選ぶ演目にもたくさんの「やりたい!」が詰まった襲名披露公演。

ご家族からの思いに葛藤もありながら、直向きにご自身の役者人生と向き合う椿さんの姿に心を打たれました。

また、インタビューでは、今後の目標についてビッグニュースになること間違いなしの夢をこっそり教えてくださいました。

これからも大きな飛躍を見せる、二代目 椿千春さんに注目です!

プロフィール

二代目椿千春

劇団九州男二代目椿千春つばき ちはる

生年月日 1989年2月12日
サイト・SNS
 

2022年4月に、祖母の名である二代目椿千春を襲名。

撮影・取材:太田執筆:太田・加藤取材日:2022年4月7日

劇団情報

劇団九州男

昭和59(1984)年に現太夫元・杉九洲男(当時・大川九州男)が「大川劇団」として旗揚げ、 現後見の金沢伸吾との二枚看板で人気を集める。 平成4(1992)年9月に劇団名を現在の「劇団九州男」に改名。 平成15(2003)年11月1日に杉九洲男太夫元の長男、大川良太郎が座長に就任した。

劇団九州男公演予定

劇場情報

朝日劇場

大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-26

朝日劇場公演予定