旅芝居女優名鑑第1回 三河家諒「今、舞台で泣いている諒さんは心の中の私です」~50歳からはただ“女優”として生きたい~(5/5)
写真で綴る女優三河家諒~お芝居・舞踊・etc.
出会い~自室の一角より
お仏前とこれまでお世話になった人たちの写真が飾られた自室の一角。得難い思い出と、節目節目に贈られた言葉が詰まっていました。
二代目梅澤龍峰(俳優)
「悔しい思いをした時に『今は辛抱。10年経ったら必ず結果が出るから』と励ましてくださいました」
本田玉江(三吉演芸場前社長)
「初めて三吉演芸場に乗った時から『あなたは女優と呼ばれる人になるよ』と可愛がってくれた方。『三吉のお母さん』と呼ばせてもらっていました。写真は横浜中華街で撮ったもので、この日が最後になりました」
梅津栄(俳優)
「『間は魔に通じると言う言葉がある。あなたにはなんとも言えない間(魔)の魅力がある』と言っていただきました。書でも有名な方で、いただいた自筆の色紙とともに飾っています」
母 苑子
「母とはさほど仲良くなかったんですが、年を重ねるほどに、自分の年齢と同じ頃の母を思い出し『あの頃の母は大変だっただろうなあ』とか、1人の女性として見るようになりました。今は九州で暮らしています」
取材を終えて
芸道35年の軌跡をたった5ページにまとめるのは不可能と知りつつ、なんとかアップ。三河家諒その人の、ひととなりと歩みの一遍でもお伝えできれば幸いです。
3年前にインタビューさせてもらった際「大衆演劇の女優は男性の2倍3倍努力しても見ていただけない」と言われたことが、ずっと頭に残っていました。
今回、その辺りを突っ込んでお聞きしたかったのですが…
「わはは~苦労話は私が死んだ後に書いてください(笑)」とのことで、泣く泣く断念いたしました。
「(苦労は)語らなくても滲み出るものでは?」と諒さん。
確かに。
その人の生き方、背負っているもの、夢…
お芝居や舞踊から感じられた時、一層心に沁みる大衆演劇の舞台です。
プロフィール
1970年12月15日生まれ、福岡県出身。
父は四代目三河家桃太郎。15歳で初舞台を踏む。伍代孝雄劇団等で活躍した後、兄(五代目三河家桃太郎)が座長を務める三河家劇団に移籍。役幅の広さと確かな演技力で名女優として注目される。2010年4月に退団し、フリーの役者として始動。多くの客演をこなしながら演出も手がける。とにかく研究熱心。大衆演劇のみならず、テレビの時代劇など幅広く活躍する。舞台での凛とした佇まいから一転、喋りだすと止まらないマシンガントークも魅力。
出演歴:「八州廻り桑山十兵衛~捕物控ぶらり旅」(主演:北大路欣也)他