木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!美月凛(紀伊国屋劇団)後編(4/4)
Ⅳ
もうすぐ10年
役者人生がスタート。楽しい、女優人生である。1日はものすごい勢いで、時間が過ぎる。 公演先は、どこに行くかはわからない。1か月が早い現場もあるが、なかなか時間が過ぎない現場があることも経験した。 芝居は、納得いかないことばかり。踊りもみんなの足をひっぱっている。当然、休みがない。リフレッシュできない。常に眠たい。収入は、OL時代の3分の1である。
人知れず、大声で泣いたともある、家に帰りたい衝動にかられる。 しかし、わたしは「美月凛」だ。美濃生まれの、負けず嫌いのいじっぱりである。 人のいないところで、稽古した。人に隠れて猛稽古した。 どこかの相撲取りが言っていた、稽古は裏切らない。本当だと思った。 好きな演目もできた。「泣き虫兄弟鴉」と「喧嘩屋五郎兵衛」である。是非、挑戦したい。
劇団の形も変わってくる。 先輩役者は独立して、抜けていく。座長もかわる。 芝居の役どころもかわる。劇団も経営であることもわかってきた。
凛は、いつの間にか「凛姐さん」といわれる立場になった。 先日、凛は良い役者になったか、座長の雄馬にきいてみた。 短所を数えたり長所を褒める、もはやそんなことを言っている時期ではない。短所と長所も含めて、今の芸は凛の「個性」なんだ。
今年で、33歳になる。初舞台から、もうすぐ10年になる。 最近、母親から電話があった、『結婚、どう考えているの?』 凛は、役者で生きていこうと、決めている。芝居をとるか、結婚をとるか、そんなダサい比較は嫌だ。 今は、芝居や踊りのことしか考えられない。自信がつくまて、稽古をしよう。裏切らない稽古を人知れずしよう。
しかし、しかしである。ある日突然「明智なにがし」が、凛をさらいに来るかもしれない。 凛の「本能寺の変」は無いとは限らない、と筆者は思う。
がんばれ、凛!かっこいい女優と呼ばれるその日まで。
プロフィール
小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。