旅芝居女優名鑑第7回澤村かな~春陽座~(2/6)
第2章 女優の道へ
父のところへ行く=劇団に入団すること。2001年12月、かなは父が座長を務めていた劇団澤村に入団することになりました。
16歳の12月末に劇団に入って、裏方にも慣れてきた頃に、舞台に出ろと言われて、翌年の1月が初舞台でした。なんとなく出なあかんような状況になって、しゃーないというか(笑)。
父も裏方でおるくらいやったら舞台に出なさいという考えの人だったし、父にわがまま言ったり甘えたりする文化が私にはないので。
もう1つ、父の期待に応えたいという思いも。
父が大好きだから、がっかりさせたくない、思っている通りにしてあげたいという気持ちも強かったんです。
寂しいのは変わらない。でも、舞台に出るようになって救われたことがありました。
めっちゃ孤独でしたね、多分。 全部食べても吐いてしまって拒食症になった時期もありました。
泣くことも、嫌なことを嫌と言うことも我慢してきました。そんな私が、舞台でいろいろな役をやることで、自分じゃない者になって泣いたり、色々な感情を表現することが出来る。
この役の人の苦しみや泣き方、これはあの時の感じだ!って。
今までの経験や感情が全部報われていく感じがして、うれしかったです。
アドバイスは一切無し
初舞台は「笹川の花会」の茶店の娘役でした。
緊張したけど、とりあえず大きな声で噛まずに言えてほっとしました(笑)。
セリフを教えてくれるのは父です。でも、それだけ。「あとは自分の思った通りにやれ」って、何のアドバイスもないんです。 他の人には細かな所作や、持ち物まで教えるのに。
褒めてもらったこともないです。他の人には「よかったぞ」って言うのに。 寂しかったですね。
で、20代後半になってようやく「ほんま、うちには何もいってくれへんよなー」って、笑って言ったら「言わんでも自分で研究するやろ」と返されました。
何も言わないことが父なりの愛情だったのかな。 なので、これはポジティブに受け取った方がいいと思って(笑)、それからは寂しくなくなりましたね。
先輩の女優が辞めて、色々な役が回ってくるように。
女優さんが6人くらいいて、私は女中とか、親戚の1人として座っているだけの役とかでした。
それが1人減り、2人減り、とうとう私だけになって、役がどんどん回ってきました。 正直、私も辞めたいんやけどって(笑)、でもピンチはチャンスで、その人よりも良かったと思われるように頑張ろうって、やっていました。
昔はすごく厳しかったんですよ。もちろん愛情でもあったんですけど、若かったしそんなことわからなくて、なんでこんなきついこと言われなあかんねん、見とけよって思ってましたね(笑)。
そんな中でステップアップになった役は?
ないです。(え!)どれをやっても楽しくないです。(ええ?!) 反省点ばかりなんです。今でも人前に出るより裏方がいいって思っちゃいます。(えええ~!?)
結婚と出産
父の澤村新吾が春陽座を結成する時、かなにも転機が訪れます。
18歳で結婚して、20歳の時に長男の煌馬(こうま)、22歳の時に長女の姫々(きき)を授かりました。
煌馬が小学生になる時、家から学校に通わせた方が良いと思って、退団を考えました。でも煌馬も姫々も舞台が好きで、みんなの真似をして刀を回して遊んでいるのを見ると、出来なかったです。
子供のためにも女優として生きていく。
役者を辞めたいと思ったことは何度もあって、ずっと続けるとは思ってなかったんですけど、この時初めて女優としてやっていこうと、思いましたね。
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