木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第12回真珀達也~三桝屋座長~前編3/4
Ⅱ
祐希も中学を卒業すると、さすがに親にも申し訳がないという気持ちが湧いてきて、まじめに働くことを考えた。 知り合いの紹介もあり「ペンキ屋」さんに就職した。
次の日から、来る日も来る日もペンキを塗っていた。 いろんな民家のペンキも塗ったが、祐希がかかわった大きい仕事といえば、黄色と赤と白の弁当店である。
当時「ほかほか弁当」が、「ほっともっと」に変わる時期だったので、「ほかほか弁当」の店舗を「ほっともっと」の店舗として、ペンキで仕上げた。九州中の「ほっともっと」の店舗をまわった。
1年余りペンキを塗ってであろうか。そんなある日、自分を正直に振り返ってみた。 「自分は職人となって物を作り出すより、人との出会いを大切にして、お付き合いしながら働く仕事が好きなのだ。」そこで仕事を変えた。
今度は、当時興味を持っていた自動車にかかわる仕事がしたくて、中古車のセールスをした。
中古車センターには、いろんな人がやってくる。家族連れや、恋人同士、暴走族までもがやってくる。そんな人たちともうまく対応していった。
人懐こい性格と若いエネルギーで、それなりの成績をあげたのである。 しかし、自分で何に向いているのか、いろんな仕事がしたくなってきた。 まだまだ若い。いろんな仕事をして自分を試したかったのである。
今度は、昼にガソリンスタンドで働いて、夜は居酒屋でアルバイトをした。 自分探しもここまでくると、どうしても夜の水商売になり、ボーイズバーでアルバイトをした。
ただ水商売で一生暮らすつもりはなかった。祐希の夢はプロの歌手であった。 中学の時に音楽のすばらしさを知って、人知れずボイストレーニングにも通って、プロを目指した。ⅭⅮデビューの話もでた。
実際にⅭⅮもできた。半田浩二のカバー曲で「無頼に生きて」である。
しかし普段はボーイズバーのバーテンである。 ところが夜の街のバーで、祐希の真価が垣間見えたのである。それは本来的に人間が好きなことに、トークのおもしろさに磨きがかけられ、友達もどんどん増えた。
バーの中にはいろんな話が飛び交う。祐希は取捨選択して頭に残す。
一人の友達が妙な話をしはじめた。バーの中では似つかわしくない話題だった。 聞き耳を立てると、一緒に「大衆演劇」を観に行こうと言うのである。
その友達は祐希にも誘いの手を伸ばしてきた。 祐希自身「大衆演劇」は、幼い頃に祖母に連れて行ってもらった覚えがある。 「大衆演劇」の印象は悪くなかった。 「じゃ、行こう。」 何でも興味をもつ祐希であった。