旅芝居女優名鑑第1回「今、舞台で泣いている諒さんは心の中の私です」~50歳からはただ“女優”として生きたい~(4/5)
コロナ禍で考えたこと
実は今年コロナ禍で、限界を感じ、女優をやめようかと考えたと言います。本来ならば芸道35年に当たる年。誕生日にはクラシックギタリストとのコラボショーの企画まであったのに、なぜ。
「自粛中に時間があったのが良かったのか悪かったのか…、色々考えて自分の嫌なところばかり見えて落ち込みました。
家庭もこどももない。35年間何やってきたんだろうって。8月後半から体調を崩して鬱状態になってしまいました」
更年期障害を経験したことも原因の1つでした。
「暑さ寒さの感覚がおかしくなって、ホットフラッシュ(ほてり・のぼせ)に悩まされました。
でも、持って生まれたポジティブさなのか、ポコチャ(配信サービス)で、こうなんですよ~っとぶっちゃけました。そしたら、私も同じですとか、聞いて安心しましたと、皆さんコメントくださったんです。諒さんが辛いことを代弁してくれるって。
じゃあ、更年期日記でも書いてみんなで笑い飛ばそうかなって思いましたね(笑)」
女性が共感してくれる芝居を
「経験したことを言えずに塞いでる女性がいっぱいいるんですよ」と、諒。
「更年期障害は恥ずかしいことと思われていますよね。悪いことしてなったわけじゃなく、誰もが通過することなのに。
私が若い頃から一貫して求められているのは、女性が世間に対して言えずにいることを表現することかもしれません。
私が舞台でわーっと泣くのを見て『あれは私の心の姿だ。今、諒さんは私の心を表して、私のために泣いてくれてると思った』と、言われたことがありました。 女性が共感してくれる芝居。これから先もそうかな…って」
50歳からの三河家諒、女優第2章の始まりですね!
「芝居の演出も随分やってきましたが、これから先は“女優”として生きたい。演じることに専念したいんです。だから誰か、私に『これをやれ』って投げてくださいませんか?
私、50歳からが運気が良いらしいんですよ。何年か前、占い師さんに『40代までは悪いけど50歳からは薔薇色よ』って言われて、それを心の支えにしてるんです。これで悪かったら怒る(笑)」
肩書は「三河家諒」でいい
最後に、以前から聞きたかった質問「座長になりたいと思ったことは」と尋ねたところ…
「それ、よく聞かれるんですが(笑)、あります。
『なぜ座長にならないのか』と聞いてくださるのは『この人座長になってもおかしくないのに』と、思ってくださっているということですよね。それでいいんです。
座長じゃないけれど、私の肩書は「三河家諒」です!(笑)」
舞踊ショー。諒が板付で登場する時は、こんな風…
幕が開くと、中央に諒が立っている。スポットが横顔を映し出す。音楽が鳴り響く。動かない。音楽が鳴り響く。まだだ。客席の「氣」を集め、導くように、一歩足を進める…
諒の憧れは上村松園の絵の世界と、舞踊家の武原はん。
「大衆演劇でそのまんまやったら、お客さん寝てしまいますけど(笑)」(諒)
それでも客を信じてしばし待つ。あのピンと張り詰めた舞踊を観ていると、古来から培われてきた芸の香りが三河家諒という人間から漂って、夢心地になるのです。
「白梅や三河家諒という女優」