旅芝居女優名鑑第9回中村美嘉~劇団美山~ピンマイクを付けると変わるんです
まえがき
劇団美山女優・中村美嘉。長身のスラリとした容姿。淡い色の裾ひきをまとった舞台姿は、竹久夢二が描く女性のようなアンニュイな雰囲気が漂います。
舞台裏では一転、テキパキとよく働く楽屋の司令塔に変身!劇団メンバーみんなの頼れる存在に。
15歳からこの道一筋。来年には芸道生活20年を迎えるという美嘉さんが、どんなきっかけでこの世界に飛び込み、どのように歩んで来られたのか?気になる方も多いのではないでしょうか。
旅芝居女優名鑑第9回・中村美嘉編、始まり始まり~。
第1章 姉に会いに行って入団
おばあちゃんに連れられて
生まれは広島県福山市。三人兄妹の末っ子でした。
一般家庭に生まれて、上に姉と兄がいます。祖母が大衆演劇が大好きで、当時、福山市にあった第一劇場や、ヘルス共和国Zなどによく連れて行かれてました。
何歳だったかな? 3~4歳か、物心ついた頃には行ってましたね。
よく観ていたのは劇団花車さん。姫京之助さん(当時座長・現在ゴッド)が大人気で、祖母も大ファンでした。
そのころの美嘉は舞台にはあまり興味がなかったそう。
センターって、温泉があって、ご飯があって、ゲームもいっぱいあるし、舞台よりもそっち目当てで行ってました。おばあちゃん子だったというのもありますね。
姉が高校生の時、共和国Zに乗っている劇団美山を観て「入りたい」と言い出したんです。
姉が入団したので、広島や岡山のセンターに美山が来た時、祖母と母とで観に行くようになりました。観劇というよりお姉ちゃんに会いに行くような感覚でしたね。
初めて観た時の劇団美山の印象は?
江味三郎先生(前座長・里美たかし総座長の父・故人)がご健在で、中村㐂代子先生(現・大夫元)もめっちゃ舞台に出てました。たかし総座長はまだ子どもで、ちっちゃかったイメージがあって…こんなこと言うと怒られそうですけど(笑)、第一印象が「子どもやなー」でした。
そのイメージはティッシュの写真から?!
一番最初に見に行った時、配られていたティッシュの写真の総座長が、すごい子どもだったんですよ。そのイメージが残っちゃってたんですね。
次に観たら全然違う。1年くらいでこんなにも変わるんやというくらい変わっていて、役者としてすごい大人で。総座長が中学1年生くらいの時です。
「遊びにおいで」で、気がつけば…
観る側から出る側になったのが中学3年の夏休みでした。
中学2年くらいから受験のことを考える時期じゃないですか。どうしようかなって考えながら観に行って、自分もやってみたいなという気持ちが出てきました。でも高校にも行きたい。
そんな時、姉ちゃんがいる楽屋に入れてもらって、江味先生や㐂代子先生に「いつでも遊びにおいで~」と言われて…気づいたら入ってたって感じです。
中3の夏休み、自分の誕生日が終わった頃には、もう入ってましたね。その頃、みんなまだ子どもで。総座長が18歳、こうちゃん(里美こうた座長)は小学生。私と1つ違いのエクちゃん(笑窪)と、一緒に学校に行って、3時間目か4時間目くらいまで授業を受けて、舞台に出ていました。
入団には家族からの反対はなかったのでしょうか。
既に姉がいたからか、特に反対されませんでした。劇団に同じ年頃の子がいたし、全然寂しくなかったです。
ホームシックになる時は、舞台で失敗した時ですね。
「うち、こんなんやったらだめや」って思うと、母や祖母を思い出すんです。普段は楽しいので、あまり思い出すことはなかったですけど。広島の同級生とは携帯でメールをやりとりしてました。今でも連絡取ってます。
15歳で親元を離れても大丈夫。話を聞いていると、しっかりした女子というイメージが浮かびます。
小学校の時はフットボールのキャプテンをやっていて、とっても活発な女子でしたね。中学校の時は陸上部。スポーツ少女で、運動神経よかったんですよ、今は全然ダメですけど。 文化系のジャンルは苦手で、絵とかも苦手。将来なりたい職業もなく、部活にのめり込むこともなく、ただ友達と遊ぶのが楽しかった。
そんな美嘉が、この先20年も女優として生きることになるとは、この頃は思いもよらなかったことでしょう。
次ページ:第2章 手汗いっぱいの初芝居