KANGEKI2021年11月号Vol.63

読者投稿筑紫桃太郎一座花の三兄弟首尾一徹のプロフェッショナル集団!

読者投稿 筑紫桃太郎一座花の三兄弟 首尾一徹のプロフェッショナル集団!

投稿者:sakura dropsさん

友人に誘われてなんとなく行った大衆演劇。移転される前の十三の遊楽館でした。
キラキラの三兄弟さんに出会い、雷に打たれたようでした。
大病、介護、義実家から引き継いだ会社の経営、子育て…色々落ち着いて余裕が出てきたタイミングも手伝いハマりました。
最初はキャー!カッコいい~!楽しい~!レベルでした。

一段深い沼ハマったのは三兄弟さんのお父様が亡くなられた時でした。
8月2日に訃報入り、8月3日に平針東海健康センターに問い合わせると、今日は昼の部だけ公演がありますという事で、居ても立っても居られず気が付けば土地勘のない平針を目指していました。

ステージでは地元の方のカラオケ大会的なものが開催されていて本当に始まるのか不安でしが、1分と遅れる事なく座長のアナウンスと共に、お芝居「甲州の鬼」が始まりました。しかも、桃之助座長はコミカルな悪役。花形との掛け合いでこんな時ですら笑いを取ります。弟座長は一人三役くらい、どの役も完璧にこなし、1時間きっちり演じ切りました。

舞踊は柔らかい表情で舞ういつも通りの座長、気持ちを封印してクールに舞う弟座長、一筋涙を浮かべ舞う花形、三人三様で心に響くものでした。

座長 筑紫桃之助ちくし もものすけ

私も30代の時にまだ50代の母を亡くし、平均寿命より遥かに若く親を亡くす言いようのない辛さ、無念さは痛いほど分かる。そんな状況にも関わらず送り出しまで笑顔できっちり務められました。

プロとしていかなる時も過酷なお仕事をこなす三兄弟さんに甚く感動して帰宅しました。

弟座長 博多家桃太郎はかたや ももたろう

あれから約4年。三兄弟さんの観劇は私の生活の一部です。
「足袋と鬘は常に美しく」など、お祖父様、お父様の教えをしっかり守りつつ、新しい事も取り入れる。お芝居も新作も有れば、これは10代の頃初めて主役を務めたお芝居ですというのもあり、一本一本思い入れがあって大事にされているのが伝わってくる。温故知新という言葉がぴったり。

「助六江戸桜」
前より博多家桃太郎、筑紫桃之助

可愛いくて癒される座長、いつも漢な弟座長、変幻自在で自由に見えて空気を読む花形。そして家族劇団の中で一人頑張る若手。着物、帯結び、着付けがいつも綺麗なのはきっと裏で表で支える女優陣のお陰。ピンスポットが完璧なのは子役のみんなのお陰。そして多分みんなの心の拠り所のお母さんの桃香さん。それぞれがプロフェッショナル。

皆さま甲乙付けがたく最初は誰を推すか悩ましいですが、私の推しは心に軽やかな風を送り込んでくれる花形の玄海花道さんです。

花形 玄海花道げんかい はなみち

sakura dropsさま
投稿ありがとうございます!
もはや生活の一部になっているという観劇ライフ、花の三兄弟さんの魅力分析に、分かる分かると頷きながら読みました^^

辛い経験をされているからこそ、より見えてくるプロの凄さ。いつもと変わらない、正確で真摯な舞台。心に焼きつきますね…。

また、大人から子どもまで全員が、阿吽(あうん)の呼吸で流れていく3時間の公演は、何度観ても気持ち良いですよね。何より、sakura dropsさんも書かれている通り、同じ兄弟でもここまで違うものかという(笑)、個性のかぶらなさは業界一では?!

今回取材させていただいたお芝居「四十両の行方」では花形大暴れ(笑)、カンゲキツアーに参加されたお客様アンケートでも「今まで観た中で一番弾けてました!」との声も寄せられました。自由な風はますます自由なようです(笑)

わたしたち自身の人生と重ねながら観る大衆演劇の舞台。日々の思いをまたお聞かせいただければありがたい限りでございます…!(←桃之助座長の口上ふうに^^)

カンゲキスタッフ

劇団情報

筑紫桃太郎一座 花の三兄弟

昭和42(1967)年、当時4歳の筑紫桃太郎を座長に「歌丸劇団」として海田温泉(広島県)で旗揚げした。その後、北海道を中心に巡業するが、平成2(1990)年に地元の九州へと戻り、「筑紫桃太郎一座」として公演を始める。時代人情劇を中心とした芝居、ショー、口上など、すべてにおいて徹底した分かりやすさと親しみやすさが特徴。三兄弟である筑紫桃之助、博多家桃太郎、玄海花道が座長・弟座長・花形となり一座の顔となっている。

筑紫桃太郎一座公演予定

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