木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第1回美月凛(紀伊国屋劇団)前編(6/6)
Ⅵ
観る側から演る側へ
凛は寸暇を惜しんで大衆演劇をみた。 日曜日はもちろん、夜の公演にも席をおいた。 それも、3日も、4日も。定期貯金を取り崩して大衆演劇を観る。わたし、おかしくなりそうだ。テレビでみたことのある、ホストにハマる純情OLである、という親の渋い顔にも慣れた。
いくつ芝居を観たのだろうか?いくつ舞踊ショーを観たのだろうか? 気がつくと、3年の月日が流れていた。そして凛はあることに気が付いた。
わたしはいつも観客席から舞台を見てる。舞台の上から見たこちらはどんな景色が流れるのだろうか? わたしも演じる方になってみたい。 自信なんて毛頭もない、芝居や踊りをやりたいという衝動があるだけ。
どうしたらいいのか?
素人を受け入れてくれる劇団なんかないだろう。
大衆演劇の役者って、おじいちゃん、お父さん、お母さんが役者で、親戚中が役者、「腹からの役者」が多い世界である。
DNAがちがう。わたしは印刷屋の娘、でも、お父さんは盆踊りが得意。これはちがう。 しかし、3年間の大衆演劇もうでで、役者や女優との距離も近くなっている。 どこに行くのか? こまった、こまった、こまどり姉妹である。
最初に感動を受けた「南條隆とスーパー兄弟」 これは、違う。ここは、観る所。
自分に正直になってよく考えてみると、行ってみたいところが1つだけあるのに気づく。誰にも内緒にしていた劇団が一つある。
同じ苦労するのなら、自分の持っている波長みたいなものに合っていなければだめだ思った。
すでに劇団員とのパイプもある。ここだ、「紀伊国屋劇団」。
どうしよう。この気持をだれに言えばいい。 話しやすく頼りがいのある雄馬さんに言おう。
「おとうさん、おかあさん、家族は大丈夫?」
「はい。両親は、私が大衆演劇に夢中なのは知っていますし、わたしが何をしようと信じているというか、もはやあきらめています。」
「じゃ、OK,じゃない。座長に言ってあげる。」
当時の構成メンバー(役者)は、紀伊国屋章太郎、澤村慎太郎、澤村雄馬、澤村健太郎、澤村蝶五郎、澤村舞、未来志乃、おちょこといった面々であった。
みな顔なじみではあったが、入団するとなると、さすがに緊張するものである。
紀伊国屋章太郎先生との最終面接、
「わかっていると思うが、はたで見ているほど甘い世界ではないよ…。では、うちで辛抱するか?」凛がうなずく。 座長はこうも続けた。
『私のような大衆演劇の役者は、所詮、世の中にうとく、無学なんや。 考えてみると、つぶしがきかん。だから世の中がする芝居、芸にこだわる。 芸にこだわるしかないのや。』と遠くを見つめた。
そして、最後にひとこと「名前を考えておくように」。
無事、面接はおわり、即、入団だ。結構あっけなかった。
「容子さんはパソコンができるようだから、わたしにパソコンを教えてくれたら名前を考えてあげる」
「もちろん、喜んで」
「容子さんは、今日から『凛』よ。」
といってくれたのは、澤村雄馬(現在 紀伊国屋劇団座長)の妹、おちょこであった。
「凛」とくれば…。ひと晩考えた、「美月」だ。
美月凛。これで、腹がすわった。
(2月号に続く)
プロフィール
小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。