木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!颯天蓮(正舞座)前編(4/4)
Ⅲ
大衆演劇と出会う
待ち合わせ場所は大阪、「朝日劇場」。
里見劇団進明座と書いてある。
なんの予備知識もないまま来てしまった。でも、初めての大衆演劇に興味深々である。 芝居が始まった。
芝居の主役は座長の里見要次郎であった。こんな芝居を見るのは初めてである。しかし、面白い、見出すと芝居に心が持っていかれる。
大衆演劇は3部制であった。定刻になり、次の舞踊ショーが始まった。
なんだ、これは。美しい、美しすぎる。私のアニメの世界がそのまま、そこにある。
目が座長をさがす。要次郎様、本当に素敵でございます。今までの人生で、こんな衝撃をうけたことがなかった。この出会いは神様からのプレゼントに違いない。
最高の時間がながれる。どうぞこのまま時間が止まって。舞台を見てアドレナリンが出るのを感じたのは初めてだった。
わたし、興奮している。育子が27歳のことだった。
育子は、紅潮した顔で友達に言う。
「また、観たいな。」
誘った友達も満足げに「じゃ、また一緒にいこうね。」
それを機に、育子は大衆演劇にはまることになる。
見れば見るほど、好きになっていく。
舞台が終わって、送り出しで座長と目が合う。握手ができる。なんてやわらかい手なの。 明日も会える、明後日も会える。ずっとずっと会える。
でも私は女。女は、わがまま、欲張りである。 あちらの若い役者は、芝居も踊りの一生懸命で好感が持てるなあ。それに女形がかわいい。
ある日の送り出しで、若い役者の前に進むと「(あっ、座長のお客さんだ)座長は、あっちですよ」と言う。 いいえ、あなたと、お喋りがしたくって…。
その若い役者こそ、後に夫になる要正大であった。
1ヶ月も2ヶ月も通い続けると、周りの評価は“おっかけ”さんに分類される。 確かに追っかけているうちに、四国にも行ったし、なんと九州の遠征にもいった。
1年も通っていると、友達もコアな里見劇団の追っかけさんばかりになる。
集まると話題は、やっぱり贔屓の役者のいいところ自慢である。 ほとんどは「やっぱり、座長がいいわね。」育子も、うんうんとはうなずいてはいるが、 座長ももちろんだが、里見劇団という存在のファンだったというのが、正しいと思った。
そんな、追っかけ生活が、3年続いた。 ある日の舞踊ショー。 いつもの音楽が違うように聞こえて不思議と手が動く、足が自然とステップをふむ。体を使って表現したくなる。わたしも舞台で踊ってみたい、そんな衝動にかられる。
そのころ里見正大は、自分があこがれていた師匠、里見要次郎のようになるには、このままではだめだ。考えた末、新たな修行をするために劇団を卒業する決心をした。
そしてその後、若葉劇団で正大の修業が始まるが、そこでとんでもない出会いが待っている。愛洋之介との対面である。
ほどなく、その愛洋之介が劇団を旗揚げをすることになる。それが「劇団紫吹」である。座長の愛洋之介は、紫吹洋之介に改名。正大は副座長になる。
こんな混沌とした時期に育子は役者になりたいということを、副座長である正大に訴えた。 劇団は発足したばかり。
正大としても役者が必要だったので、即採用となる。 紫吹蓮(しぶき れん)としてのスタートである。その後、颯天蓮(そうま れん)と改名することになるが、全くの(ど)素人である・・・
――前編完 ー
後編は2021年4月号に掲載予定です。どうぞお楽しみに!
プロフィール
小野直人
生年月日 | 1953年 |
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1953年 滋賀県大津市生まれ。日本大学・農獣医学部卒業。
小野牧場オーナー、総合学習塾 啓数塾塾長、構成作家(テレビ、ラジオ)を経て、現在は、あがりゃんせ劇場の木戸番として、多くの大衆演劇の劇団や幅白い大衆演劇のファンと交流をもつ。「KANGEKI」で「木戸番のエッセイ」を連載中。