旅芝居女優名鑑第5回高野花子この振り幅を見てほしい!芸道24年・フリーで羽ばたく(2/6)
第2章 修行時代
養成所から舞台へ
「明日までに出来るようにしといて」
何も分からないままやって来た大須演芸場。 花子を待っていたのは…
最初にやったのは照明係で「座長に当ててたら良いから」「舞台にも出るので化粧と着付けを覚えて」と矢継ぎ早に言われました。
この世界に憧れていたくせに、私、何にも知らなかったんですよね。
着物をたたむように言われたので、衣装係の先輩のところに行きました。
「この着物たたんどいて」
「出来ません」
「出来ないの?明日までに出来るようにしておいて!」
その先輩は「明日までに出来るようにして」が口癖でした(笑)。
初日にいきなり仕事を振られてオロオロしましたが、舞台の仕事に関わる喜びを噛みしめてもいました。照明を当てながら「ああ私、この世界にいるんだ」って(笑)。
舞台にも出ました。
もちろん何も出来ません。とにかく踊ってと言われました。その日はファン感謝祭だったようで、お客さんも一緒になって踊るからお前がどう動いていようが見てねーよって(笑)。周りを見ながらなんとか踊った、そんな初舞台でした。
ところで「高野花子」の芸名の由来は?
その頃、今より10キロほど太っていたんです。芸名つけなきゃとなった時「お前、貴乃花に似てるな」「じゃあ高野花子ね」で、あっさり決まりました(笑)。
俳優養成所「誠塾」に入塾
その後、松井誠が主宰する俳優養成所「誠塾」に入るために上京することに。
勝手に決めたので親にめちゃめちゃ怒られましたが(笑)、養成所の2年は楽しかったです。
大衆演劇に特化してるわけではなくて、現代劇でチェーホフとかやってました。同期生に桜川翔座長(劇団雪月花)もいて、日舞、殺陣、ジャズダンス、演技の授業を受けながら、月謝稼ぎにロッテリアでアルバイトしていました。
舞踊の授業は週1回なので、松井誠師匠の舞踊を観て自分で研究したり、後に下町かぶき組の座長さん方にも教えてもらいましたね。
「一人芝居のような舞踊だね」とよく言っていただくのですが、私自身がそういう舞踊を観るのが好きなので。見えない人をこの辺においてます(笑)。
養成所に通いながら、劇団誠や劇団夢の旅の舞台に出演。 役がつくようになったのはいつからでしょうか。
現場に行けば仕出しでも何でも出してくれました。台本に名前が載ったのは塾を卒業してからだったと思います。
師匠主演の「劇団誠」の公演と、師匠のお弟子さんである瞳ひろし座長率いる「劇団夢の旅」、2つの出演先があったのですが、私は「夢の旅」に出ることが多くて、そこでちょこちょこ娘役などを演らせてもらっていました。
ある日、先輩の女優さんが不在になり「今まで見ていたからわかるだろ」と、代役で女房を演ることに。それから大きな役がいっぺんに来たので大変でしたね。
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