木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第6回錦はやと~劇団錦座長~(前編3/4)
Ⅱ
博行は、高校時代からバンド活動をしたりして、歌手になるという夢を持っていた。 正直なところ、稼業の興行師には、興味を持っていなかったと聞いた。
彼の通っていた柳川高校は、柳川市に学び舎を構えて80年になる名門高校である。 クラブ活動も活発で、ゴルフや野球、テニス、水泳、柔道などが全国大会でも常連校で、元阪神タイガース監督の真弓明信やリオ五輪水泳の銀メダリスト坂井聖人やテニスプレイヤーでタレントの松岡修造、アイドルグループチェッカーズの髙杢禎彦など、有名選手やアーティストも多く輩出している。
彼は、そのような高校で、常に刺激的な学園生活を送っていたが、彼自身も、本気で歌手を目指すようになった。
地元、筑後市で行われたカラオケ大会で、チョー・ヨンピルの「想いで迷子」を熱唱してチャンピョンになったり、新人歌手発掘のオーディションで、2次までいったが3次のオーディションが、周りの勧めのあった自衛隊の入隊試験の日に偶然重なり、家族のおもいが強かった自衛隊の試験を受けたが、オーディションが気になって、上の空の時間を消費しただけだった。
勿論、どちらもためだったが、どうしても歌手になりたいという「夢」への思いはますますつのった。
博行は高校を卒業すると、東京を目指した。
もちろん、歌手になるためである。 ところが、東京に行っても、歌手になる手だてもなく、紹介もなく、ただただ、東京をめざし、デビューを夢見た。 このように花の都に夢だけをもって、のぼり電車に乗る若者を見ると、ある人の言葉を思い出す。
「コネになければ親戚もなければ、友人もいなくて、まったく知らない土地にきて、一から自分の手で触って。熱いか冷たい確かめ確かめしてきたオレには、オレのやってきた方法しかなかった。関東にきて、コネがまったくないってことは、想像以上にエライことなんだよ。」
と、矢沢永吉も“成りあがり”の中でいっている。
世の中、一介の田舎の若者の夢を応援するほど、甘くない。
彼は、まず、仕事を決めた。 武道館のそばで、四つ星をいただいているホテルグランドパレスを選んで、就職をした。 そこで歌手への道がひろがるチャンスをうかがった。しかし、そこで、2年がすぎたが、歌手になる手がかりもないまま、結局ホスピタリティ溢れるホテルマンとして、しっかり成長していた。
ある日のことである。博行に1本の電話がかかってきた。ふるさとにいるはずの父親、福正企画社長の野間口正洋からであった。
この1本の電話が、博行の人生を変えることになるのである。
野間口社長は、横浜にいた。 その時、横浜の三好演芸場では、劇団三桝屋の座長市川市二郎らがのっていた。野間口社長と、先代の市二郎とは、旧知の間柄であった。